無料のものにはイヤな顔が群がる

漫画家のまついなつきさんが、著書『東京暮らしの逆襲』の中で、昔はじめてフリーマーケットで出店されたときのエッセイマンガを描いておられます。それによると、「最初はわりあいまともな値段で売っていた」ものを夕方になって「全部ただで持ってっていいです」ということにしたところ、


それに群がった人々のすごい顔を、私は一生忘れない

という事態に陥ったとか。ちなみにこのコマでは、無料になった商品に押し寄せる人々の白抜きシルエットの顔部分に、それぞれ「イヤな顔/イヤな顔/とても絵に描けない/イヤな顔/イヤな顔」と書き込まれていたりします。まついさんはそれから、


なんか、むなしくなって、なんでも100円とか10円で売る女になった

とのこと。

あたしはフリーマーケットに行ったことがほとんどないし、今後参加する予定もないので、これ読んで「へー」とだけ思ってたんですよ。

が。
別にフリマじゃなくても、ちょこっとネットを見るだけで、無料のものに群がる「イヤな顔」はあふれてないかい。ほら、無料のTwitterクライアントの作者に、横暴で一方的な要求を並べる人とかさ。無料アプリのレビューで「死ね」だの「ゴミ」だのと罵倒コメントを軽々しく書き込む人とかさ。そう言えば、犬猫の里親を探すボランティア団体(だったかな? 自治体がやっている公共の機関だったかも)で、「本当は無料でお譲りしたいんだけど、無料だと無責任にもらっていってすぐ捨てる人がいるから、少額だが有料にしている」ってところもあったと思います。結局、ジャンルはどうあれ無料のものに対しては、自分の欲望だけに忠実な「イヤな顔」がゾンビのごとく寄って来やすいってことですね。
ちょっと前まで、「Webでなんでも無料になる! インターネットが世界を変える!」みたいなバラ色のネット論をよく目にしたけど、Webがどれだけ発達しようと、「貧すれば鈍する」「衣食足りて礼節を知る」という人間の基本は変わらないんじゃないですかねー。そこをうまくモデレイトする仕組みが作れなければ、ネット(がもたらすフリー化)によるバラ色の未来なんてのはありえないんじゃないかとあたしは考えています。