『MILK(上・下)-ゲイの「市長」と呼ばれた男、ハーヴェイ・ミルクとその時代』(ランディ・シルツ[著]/藤井留美[訳]、祥伝社)感想

MILK(上)-ゲイの「市長」と呼ばれた男、ハーヴェイ・ミルクとその時代 (祥伝社文庫)MILK(上)-ゲイの「市長」と呼ばれた男、ハーヴェイ・ミルクとその時代 (祥伝社文庫)
藤井 留美

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学ぶこと多し。ゲイ・レズビアン必読の良書

アカデミー賞作品『MILK』で話題となったゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクの伝記です。これは良書。少なくともセクマイなら読んで損なし。単なる偉人伝ではなく、ミルクの生きた時代のゲイをとりまく状況が克明に描かれていて、しかも現代にも通じる部分が多いんです。あたし自身に関して言うと、自分もまた同性愛者でありながら、しかも自サイトで「LGBTニュース」なんてカテゴリを持っていながら知らなかった内容が多く、目からウロコが落ちまくりでした(ちなみにあたしは映画『MILK』は未見です)。以下、どんなところが目ウロコだったのか少しだけ並べてみます。

1. ハーヴェイはカムアウト推進論者?

映画『MILK』の中にはハーヴェイが人に電話を渡してカムアウトを半ば強要する場面があり、話題を呼んだと思います。また、この本に収録されているミルクの演説や遺言にも、同性愛者のカムアウトを強く促す表現が繰り返し出てきます。

でも上巻を最初から読んでみると、かつてミルクは性的指向を完璧に隠しており、むしろカムアウトを恐れていたことがわかります。実際ハーヴェイは、32歳の時につきあいはじめた恋人のクレイグ・ロッドウェルを相手にこんな会話をしてる(上巻pp. 67 - 68)んですね。


「ハーヴェイ、きみはいい職についているし、きれいなアパートに済んで、女王様さえうらやましがる食器を揃えている」ロッドウェルは言った。「足りないのは、きみが普通の人間のように本来の姿を公表することだけだ」
「そんなことできない――両親なんて驚いて死んでしまう」ミルクもしぶとく抵抗する。
「言い訳だ。そんなのはただの言い訳だよ」ロッドウェルは反論した。もしそうなら、アメリカではたくさんの母親が死んでいるはずだというのである。
「きみも年をとったらわかるようになる」ミルクはぴしゃりと言った。それはこの手の議論を終わらせるときのミルクの常套句だった。
ちなみにミルクは母親に対しては死ぬまでカミングアウトしていなかったんだそうで、彼が決して楽観的なカムアウト万能論者ではなかったことがこんな点からもわかります。そんなわけでミルクの「カムアウトしよう」という強い呼びかけには、一種の政治的戦略(『同性愛者の可視化→周囲の有権者の投票行動の変化』を狙う、とか)という側面がかなり大きかったんじゃないかという印象を持ちました。映画の中の強烈なシーンだけ見てわかったつもりになってちゃダメですね、やっぱり。

2. ゲイをめぐる言説いまむかし


「同性愛者は子孫を増やすことはできない。だから新しく人を補充しなければならないのよ」


「彼ら(引用者注:同性愛者のこと)に子どもはいない。もし子どもや若年者を引きいれなければ、彼らは絶滅するだろう。人口補充の手段を持たないのだから。それゆえ彼らは教師になりたがり、平等になりたがる。お手本を示して多くの人間を自分の仲間に引きいれるためだ」

上がアンチゲイな歌手のアニタ・ブライアントの発言(上巻p. 319)、下がカリフォルニアの公立学校で同性愛者が教職につくのを禁じる「提案六号」を提出した議員ジョン・ブリッグズの発言(下巻pp. 90 - 91)です。

海外のLGBTニュースを日々訳していて、どうしてアンチゲイな人って「ゲイは子どもを勧誘(recruit)する」とか「ゲイは同性愛を宣伝促進(promote)する」というレトリックをやたらと使いたがるのか疑問だったんですよ。同性愛者を増やそうとしている同性愛者なんて見たことないのに、なんでこんなこと言われちゃうんだろうと思ってたんですが、なるほど、こういう言い回しの背後には、「同性愛者は子孫を増やせないから放っておけば『絶滅』する」という迷信があったのね! あたしら佐渡島のトキか何かですか。いやー、勉強になるなあ。それにしても同性愛反対派の言うことがこの30年間変わっていないことにめまいが。
ちなみにアニタ・ブライアントは、「法律の適用を甘くしたら、たちまち不道徳が黙認されてしまう」(下巻p. 56)という理由で「ホモセクシャル行為を一度でもはたらいたゲイは、最低二〇年刑務所に入れておくべきだ」とも唱えていたんだそうです。こういう「道徳」を振りかざしての同性愛の違法化・厳罰化って、今でもアラブ圏やアフリカ諸国でまったく同じように繰り返されていますよね。あたしも含めていわゆる「先進国」に住んでいる人は、そうしたホモフォビアをついつい「野蛮な後進国だから不寛容なのだ」みたいに受け取ってしまいがちですが、1970年代のアメリカと言ったら日本人にとっては夢の先進国だったはず。どの時代でも、そしてどの場所でも、同性愛嫌いの人の言いたがることには大差ないんだな、と痛感しました。

3. ヘイトクライムいまむかし


六月二十一日の蒸し暑い夜、車をおりたロバート・ヒルズバラとジェリー・テイラーに四人組が襲いかかった。やせて身軽なテイラーはすばやく二・五メートルのフェンスを乗りこえて、ゴミ箱の陰に隠れた。ヒルズバラは力が強いから、自分の身は守れるだろうと思いながら。
そのとき叫ぶような声がした。「ホモ野郎、ホモ野郎、ホモ野郎!」ヒスパニックの若者、のちにジョン・コルドバという名前だと判明した男が、横たわったヒルズバラの体におおいかぶさり、とりつかれたようにフィッシングナイフを何度もツキたてた。ナイフは最初は彼の胸に、そして顔に刺さった。手が血まみれになり、血が地面にほとばしっても、男はまだ倒れたヒルズバラの体にナイフの刃を沈めつづけた。男は一五回もヒルズバラを刺し、鋼を肉に打ちこみながら、ひたすら叫んでいた。「ホモ野郎、ホモ野郎、ホモ野郎!」

1977年の出来事(上巻pp. 332 - 333.)です。「みやきち日記」の「LGBTニュース」で日々紹介している昨今のヘイトクライムとまったく変わらないわ、これ。ネットで同様のニュースを読むたびいちいち衝撃を受けてる場合じゃなかったわ。自分は全然わかってなかった、知識として「昔からヘイトクライムはありました」とぼんやり認識してるだけじゃ何も知らないのと一緒だ、と思い知らされました。

4. 同性愛者を迫害するのは「異性愛者」?

このドキュメンタリーが興味深いのは、同性愛者への迫害を単純に「同性愛者VS異性愛者」の構造に落とし込んでしまわないこと。例として以下2点を挙げます。

ジョン・コルドバについて

上記ヒルズバラ殺害事件の犯人ジョン・コルドバについて、著者は次のように書いています(上巻pp. 342 - 343)。


四〇代後半でずんぐりした体型の建築業者は、建築現場に新聞記者が二人やってきたのを見てびっくりしたいた。ビール腹に巻いたベルトをせわしなく治す前に、新聞記者は彼らが入手した事実をつきつけた。それは男がジョン・コルドバと性的関係を持っていたということだった。


「私の趣味を知っている友人から電話があって、あの少年に会うように言われたんだ」建築業者は説明をはじめた。「彼は私のところにやってきてはしこたま酒を飲み、『疲れたから寝よう』と言った。そのうち彼が私の上に乗ったり、足を空中に突きだしたりしたが、彼は、自分のしていることがわかっているそぶりをぜったいに見せなかった」
まだ19歳だったコルドバは、建築業者とのあいびきを繰り返しつつ、翌朝になると常に「なにも覚えていない」と言い張っていたそうです。そのうち泥酔してズボンを足元までひきずりおろした状態で建築業者に会いに来たり、コートの下が素っ裸だったりという奇行もみせるようになったとか。つまり、ホモフォビアを強固に内面化し、錯乱をきたしていたゲイだったらしいんですよコルドバは。ということはヒルズバラ殺人事件は「異性愛コルドバVS同性愛者ヒルズバラ」という構図には当てはまらず、むしろ「異性愛主義に追い詰められたコルドバヒルズバラの悲劇」と解釈することができるわけです。

ここで個人的に反省しなければならないのが、ヘイトクライムについて書くとき、どうしても「異性愛者に」同性愛者が暴力をふるわれたと決めつけてしまいがちな自分の阿呆さです。公表されていない限り加害者のセクシュアリティなんてわかりはしないのに、ついつい「これだからノンケは!!」と短絡的に考えて憤慨してしまうという卑怯なところがあたしにはあります。実際には同性愛者を痛めつけているのは、「セクシュアリティが何であろうと異性愛主義を内面化した人全般」であって、ラスボスは異性愛主義なんですよね。それを忘れてはいけない、と肝に銘じました。

「しょせん政治の話だよ」

提案六号を提出したジョン・ブリッグズについて、「個人的にゲイを嫌っていたかどうかは、かなり疑わしい。彼はただ州知事に立候補しようとしていたのだ」(上巻p. 323)と筆者は記しています。実際、ブリッグズは提案六号についてある記者に「しょせん政治の話だよ」("Just politics.")と打ち明けているんだそうです。つまり提案六号の狙いはゲイの公民権剥奪そのものではなく、異性愛主義を利用して有権者の人気取りをすることにあったわけ。ヒルズバラ事件と同じで、ここでもラスボスは異性愛主義だったわけです。考えてみれば、これは昨今の共和党キリスト教原理主義団体に迎合して票集めしているのと同じ構図ですよね。政治家個人だの、ましてや異性愛者全般だのを勝手に敵認定して勧善懲悪ムードにひたっているだけではダメで、社会の背後にある強制異性愛そのものをどうにかしなければゲイはいつまでたっても踏んづけられたままだわ、と思いました。

5.その他いろいろ

  • ハーヴェイの周りで起こるゲイの自殺/自殺未遂事件の多さに驚愕。同性愛者の自殺傾向の強さについては以前からよく言及されるところですが、こうも多いものなのかと。
  • よく言われることですが、ハーヴェイってほんとにレズビアンとの接触が少ないですね。彼がレズビアンの抱えている問題についてどこまでわかっていたか、ちょっと疑問。
  • ハーヴェイってば若専だし頑固だし強引だしで、『MILK』公開時に日本の一部のマスコミが強調していたような偉人イメージとはちょっと違う感じ。その泥臭さというか人間臭さが、かえって魅力的でしたけど。
  • この本で唯一不満なのは、情報がぎっしりと詰め込まれているがゆえに、全体像がやや把握しづらいこと。できれば年表や登場人物一覧みたいな付録があるともっとよかったかも、

まとめ

これだけ書いても書ききれないぐらい、学ぶところの多い本でした。映画『MILK』を観る前にと思って買ったんですが、買って大正解でしたね。『MILK』のDVDも合わせて手に入れたので、時間ができ次第観てみようと思っています。