腐の世界のクィア性について、掲示板より転載(その2) - 本編

「腐の世界のクィア性について、掲示板より転載(その1) - 長い長い前提」の続きです。以下、みやきちが4月8日に掲示板に書いた内容をコピペでそのまま転載しておきます。

投稿者:みやきち 投稿日: 4月 8日(日)07時01分37秒
筆力が足りなくてうまく書けなかったのですが、前回の書き込みであたしが言いたかったのは、「『腐女子の』豊かさ・寛容さ」ではなくて、「『801というジャンルの』豊かさ・寛容さ」だということをまず申し上げておきます。

ヤオイは「少女のような美少年とサラリーマンの恋愛性交モノ」も「体毛豊かな大男のプラトニックラブ」も含めているから、ヤオイ者は寛大でクィア性を感じる”というなら、”異性愛は「60歳女性と18歳男性の婚姻」も「18歳女性と18歳男性の火遊び」まで、含めているから、異性愛者は寛大でクィア性を感じる”と言い換えられると思うんですが、どうでしょう?

やおい者の方がよりゆらぎに自覚的(になるチャンスが多い)だというだけで、異性愛だって実は豊かなゆらぎの宝庫だと思いますよ。クィア理論では、「異性愛者もクィアになれる」としていますが、それは異性愛者イコール規範にしばられた存在というわけではないからです。

※ここからはあたしなりのクィア理論の解釈なので、間違っていたらごめんなさい(そもそもバトラー読んだのすら2年ぐらい前ですし)

異性愛者であろうと性的少数者であろうと、自分と規範とのズレを是とできるかどうかが、クィアになれるかどうかの境目だと思います。(『人と違う自分カッコイイ☆』というのではなくて―そういうのはただの規範盲信の裏返しですから―『違っているのは、あたりまえのこと』と淡々と納得できるかとうか、ということです)

「60歳女性と18歳男性の婚姻」を恥じている、あるいは軽蔑しているだけの異性愛者はただの「ストレート」(『異性愛者』という意味ではなく、クィアの反意語としてのストレート)でしょう。けれども「60歳女性と18歳男性の婚姻? 別にいいじゃない?」と言える異性愛者は立派に「異性愛者でクィア」を名乗れるのではないかと思います。

腐女子さんがたについても同じです。全ての腐女子さんがクィアになれるわけではなく、特に異性愛規範をガチガチに内面化されている方や、カップリング論争で「自分の嗜好/指向こそが『正しい』」と一面的な価値観を振り回す方々は、どうあがいてもただの「ストレート」でしかないでしょう。
でも、801というジャンルの中では、ヘテロセクシュアルの読み手/書き手であっても自分の指向/嗜好と一般的な性規範とのズレを否応なしに意識させられる機会が比較的多いんじゃないかと思うんですよ。そこでただ「これはよくないことだ、おおっぴらにできないことだ」と自分を恥じるだけで終わってしまうか、そこから一歩踏み込んで「一般的によしとされている基準とは違うけど、自分はこれでいいんです」というところまで行けるかがクィア⇔ストレートの境目なんじゃないか、という気がします。

そのへんは、

私がヤオイに感じるクィア性は、「主流でないところ」です。大っぴらにできない、何処か後ろめたさを感じさせられる趣味をもったこといから、他の人の痛みを推測できないか。大勢が認めるものが一番!という考え方に異論を唱えたのだから、その気持ちを外にも向けられないか、そう思います。その点での柔軟性はあると思います。

という橘さんのお話ともつながってくると思います。

おしまい。(こんなもんでどうでしょうか、のだださん?)