「異性愛者をストレートと呼ぶのは、同性愛者が『曲がって/歪んでいる』ってことになるからダメ」説が疑わしい件について

要約

なんかネットで、「異性愛者をストレートと呼ぶのは、同性愛者を『曲がっている』『歪んでいる』とすることになるから差別的」という主張を複数(日本語圏でも英語圏でも)見かけ、違和感をおぼえたのでちょっと調べてみました。結論を先に言うと、

  • この用法はもともと同性愛者が使い始めたもの
  • 「まっすぐか曲がっているか」ではなく、マタイによる福音書の誤読(または、もじり?)から生まれた慣用句に由来する言い回し
  • 初出は1941年

ということがわかりました。また、アンチゲイな団体のWebサイト内においてさえ、この語を「異性愛はまっすぐで、同性愛は歪んで/曲がっている」という意味合いで使っている実例は確認できませんでした。一方、同性愛者を支援する団体やLGBT研究の教科書は、この語をネガティブなものとはとらえず、単純に「異性愛者」という意味で使っています。したがって、「異性愛者をストレートと呼ぶのは、同性愛者に対して差別的」説には疑問を感じざるを得ません。単に字面だけ見て判断したために生じた誤解なんじゃないでしょうか、これ。

異性愛者を「ストレート」と呼ぶのは、誰が、いつ、どんな語源にもとづいて始めたのか?

『The Invention of Heterosexuality』(Jonathan Ned Katz, New York: Dutton Books, 1995)という本に、このような記述があります。(※以下、英文ソースの訳はすべてみやきちによります)


1941年には、「性倒錯」に関するある本の用語集に、「ストレート」は「同性愛者ではない」という意味で同性愛者たちに使われていると書かれている。ストレートになる(to go straight)とは、同性愛行為をやめて、異性愛にふける――たいていは、再びふける――ことである。
By 1941, the glossary of a book about "sex variants" said that "straight" is being employed by homosexuals as meaning not homosexual. To go straight is to cease homosexual practices and to indulge--usually to reindulge--in heterosexuality.

なお、この1941年に出版された本というのは、こちらのようです。

ちなみに、オンライン語源辞典Online Etymology Dictionaryの、"straight"の項目には、こうあります。


ストレート(形.2)
「因襲的な」、特に「異性愛の」の意。1941。おそらく、従来の道徳や法律を守るふるまいを通じての実直な生活("straight and narrow path")という言い回しにある程度由来しており、この"straight and narrow path"というのは、マタイによる福音書7:14の誤読(聖書では"straight"ではなく"strait" the gateとなっている)や、「堅苦しい」(strait-laced)などの語から生じたものであると考えられる。
straight (adj.2)
"conventional," especially "heterosexual," 1941, probably in part from straight and narrow path "course of conventional morality and law-abiding behavior," which is based on a misreading of Matt. vii:14 (where the gate is actually strait), and the other influence seems to be from strait-laced.

「ストレート」という語は、同性愛者を貶めるニュアンスで使われているのか?

語源のみならず実際の使われ方にしても、同性愛者を「曲がっている/歪んでいる」として貶める意味でこの語を使っている例って見た記憶がありません。今ためしに、悪名高いアンチゲイ団体であるNOMウエストボロ・バプティスト教会のWebサイト内をGoogleで検索してみたんですが、検索結果を何ページも読み進めても、"straight"という語をそういうニュアンスで使っている実例は見つけられませんでした。

逆に"Gay-Straight Alliance"(学校をLGBTQの生徒にとって安全な場所にするため、異性愛者も含めたさまざまな性的指向の学生が共に活動する学生クラブ)のような、ゲイを支援する団体の名称にこの語が使われていることから考えても、この語がオフェンシブだとはあたしには思えません。だいたい異性愛者という意味での"straight"って、学生向けのLGBTスタディーズの教科書でだってごく当たり前に使われてますし。たとえば、あたしの持っている『Finding Out: An Introduction to LGBT Studies』という本だと、54回も出てきます。そのうち1箇所たりとも、「同性愛者は曲がって/歪んでいる」という含意などありはしません。

なお、冒頭に英語圏でもストレートという語を(同性愛者に対して)差別的ととらえる人がいると書きましたが、ネットでそういう声が確認できるのはほとんど「Yahoo! Ansers」(日本で言うところのYahoo!知恵袋)のようなQAサイトで、ざっと見た範囲では主観にもとづく意見ばかりでした。日本のYahoo!知恵袋に書かれていることがどれだけあてになるかを考えると、これはあんまり重視しなくていいんじゃないかなあ。

まとめ

以上のようなわけで、「異性愛者を『ストレート』と呼ぶのは同性愛者への差別」説というのは、おそらく「字面だけ見てなんとなくそう思っちゃった人による印象論」にすぎないのではないかと思います。ほら、「『片手落ち』は片手がない障害者への差別だから使っちゃダメ」説みたいなものですね。したがって、「ストレート」という言い回しを自粛する必要は特にないんじゃないでしょうか。別にこの語を使いたくない人は使わなきゃいいんだけど、あたしは今後も使うよ堂々と。