『映画篇』(金城一紀、集英社)感想

映画篇 (集英社文庫)映画篇 (集英社文庫)
金城 一紀

集英社 2010-06-25
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映画をモチーフとする5つの物語をおさめた短篇集。収録作は以下の通り。

  • 太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL
  • ドラゴン怒りの鉄拳 精武門
  • 恋のためらい/フランキーとジョニー もしくは トゥルー・ロマンス Frankie & Jonny or True Romance
  • ペイルライダー Pale Rider
  • 愛の泉 THREE COINS IN THE FOUNTAIN

それぞれ単独でも読めるこれらの物語は、実はすべてが密接につながっています。お話をリンクさせる仕掛けは大きく分けてふたつあり、ひとつは公民館で無料で上映される『ローマの休日』。もうひとつは、「太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL」の登場人物・龍一(リョンイル)が、「クソみたいな映画」を見たあと、主人公に向かって言うこの台詞(pp. 73 - 74)。


才能っていうのは力のことだよ。でもって、力を持ってる人間は、それをひけらかすために使うか、誰かを救うために使うか、自分で選択できるんだ。さっきの映画を作った連中は、ひけらかす方を選んだんだよ。たいして語りたいこともねぇくせに、自分の力だけは見せつけたくて映画を作るから、結果的にせんずりこいてるみたいなひとりよがりの作品ができあがるってわけさ」

「俺んとこの社長は、抵抗しねぇって分かってる相手を殴る時、うっとりした顔をしてるよ。でも、ほんの少しばかしは美意識みたいなもんがあるから、自分がクソじゃないのを言い訳するみたいに、やたらと俺ら社員に説教垂れたり、事務所の中に標語みたいなもんをベタベタ貼り付けてやがるんだ。人間だからつまずくこともあるさ、みたいな標語だぜ。爆笑だよ。俺らみごとにつまずいたからてめぇんとこで働いてるっていうのによ」

「さっきの映画を作った連中もおんなじだよ。俺様の作った映画はどんなもんだって、客のほっぺたを一方的に引っぱたいてうっとりしてぇんだ。でも、引っぱたくのは悪いことだってほんとはわかってるから、自分の代わりに登場人物たちに俺らに通じねぇような小難しい言葉で言い訳させたり、わざとしかめっ面をさせたりしやがるんだ。そんなクソみたいな力で作った映画を、クソみたいな力しか持ってねぇ連中が自分たちには理解できる才能があるってひけらかしてぇから褒めたり賞をやったりするんだよ。

この短篇集におさめられた作品はすべて、「フィクションが誰かを救う物語」です。悲痛なものから心あたたまるものまで、描かれる救済の風景はさまざまですが、どれも映画の、ひいては物語の持つ力というものをまっすぐに描き出しています。「太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL」の、インデントされた最後の章を読んで、あたしゃ息が止まるかと思いましたよ。真っ昼間のドトールで、アイスコーヒーのグラスを前に、目から変な汁が出そうになるのを必死でこらえましたよ。およそ物語というものは、まさしくこういうことのためにあるのだと思いました。「力をひけらかして客をひっぱたいているだけなのか、それとも誰かを救うために力を使っているのか」という視点は、今後映画に限らずあらゆる表現に接するときの大きな指針になりそうです。

5篇のうちあたしが特に好きなのは、前述の「太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL」と、巻末におさめられている「愛の泉 THREE COINS IN THE FOUNTAIN」です。まず前者は映画好き少年ふたりの傷だらけの思春期の描写がすばらしく(映画好きなら、このふたりが挙げる『これまで見た映画で面白かった映画』だけで、彼らがどんな奴らなのかわかるはず)、だからこそその後の強烈な展開に息をのみました。後者はうって変わって軽快なファミリー・コメディーでありつつ、5つの物語をつなぐ核として十二分に機能しているところが面白かったです。他の短篇にも必ず出てきた『ローマの休日』上映会の意味がここではっきりとわかり、公民館の観客たちと一緒に大拍手を送りたくなりました。この作品を読み終えてから、口絵や、なぜか巻末におまけ的に添えられた「岡 圭太郎」なる人物による小文を見直すと、さらに感慨深いものがあります。すみずみまで工夫がこらされた、心憎い本です。

余談ですが、「愛の泉 THREE COINS IN THE FOUNTAIN」の浜口教授のこちらの言葉(p. 356)は、サイトで足かけ数年百合レビューを書いてる身としてはたいへん耳が痛かったです。


「まぁ、人であれ映画であれなんであれ、知った気になって接した瞬間に相手は新しい顔を見せてくれなくなるし、キミの停滞も始まるもんだよ。

ギクリとしましたね、これ。今はお休み中ですが、次から次へと追われるようにして百合作品の新刊レビューを書いていた時期、あたしは「知った気になって」、軽く受け流してレビューを書いてやしなかったか。目をこらし、耳を澄ますことを怠って、先述の龍一の言うところの「クソみたいな力」で誰かのほっぺたをひっぱたくようなくっだらないものばかり書いてやしなかったか。あたしには才能も文章力もないけれど、せめて対象をきちんと知ろうと頑張って、難しくても間違っていてもいいから愚直に答えを出そうとすることだけは忘れてはならないと思いました。大事なことに気づかせてくれてありがとう、ミスター・ミヤギこと浜口教授。