常識なんてラララ

1. 「常識」は常に正しいとは限らない

大昔には「バテるから運動中は水を飲んじゃダメ」と言われていたし、「健康のため、赤ちゃんには日光浴をさせるべき」というのが定説でした。また、「黒人は夜、目が見えないから軍の要職には就けない」と考えられていたし、「女性には生理的にフルマラソンは無理」と決めつけられていました。これらはみんな、その時点では「常識」だったわけです。
でも今では、運動中に水を飲まないのは危険だとわかっているし、紫外線は皮膚ガンの原因になると言われています。コリン・パウエル国務長官にまで昇り詰めたし、高橋尚子野口みずきの活躍に沿道の人がニコニコと小旗を振ってます。
つまり、ある時点で常識とされていることなんて、長いスパンで見れば実はぜんぜん正しくなかったりするわけです。意見の根拠として「常識」を持ち出しても意味がないし、ましてや「常識だから正しいのだ!」と言われてなんとなく納得してしまうのは危険なことなんですよね。

2. (論理的な意見を述べたければ)意見を「常識」で支えようとしてはいけない

上記のようなことをつらつら考えていたら、愛読している『13歳からの論理ノート』(小野田博一、PHP研究所)という本にそのものズバリの「常識で支えようとしてはいけない」という項目(pp. 88 - 89)がありました。以下、引用。

あなたが意見を述べるときには、主張を「常識」で支えようとしてはいけません。

「常識」で支えようとする、とは、たとえば、次のように述べることです。

月に図書館を作るべきだ。常識的に考えてみればわかる。
月に図書館を作るべきだ。そんなの常識だよ。
月に図書館を作るべきだ。誰だってそう考えている。
これでは、相手にとって、何も説得力(理屈にもっともな感じ)がありません。


※注意:「常識の支える力」は例にもよりけりで、次の例では説得力がある」と誤解している人がいるかもしれません。

「地球は丸い。そんなの常識だよ」
この例に説得力を感じる人がいるのなら、その人は、「地球は丸い」という主張そのものに同意しているだけであって、「そんなの常識だよ」の支える力によって(理屈によって)納得しているのではありません。

これよ、これ。「そんなの常識だよ」というフレーズ自体には、実は論理的な説得力なんてないのよ。

3. なぜ「常識」を持ち出したがる人が多いのか

ではなぜ、論理的には無意味であるにもかかわらず、自分の主張に「常識」で箔付けしたがる人が絶えないのか。思うにこれって、「『常識』を持ち出すのは、『多数論証(ad populum)』及び『充填された語(loaded language)』という詭弁のテクニックとしては有効だから」じゃないでしょうか。以下、「多数論証」「充填された語」について、Wikipediaから引用してみます。

多数論証(ad populum)

  • A「B君も早くCを買うべきだ。もう皆そうしている」

Aの発言は「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論。『多数派』は『正しい側』と論理的に同値ではなく包含関係にもないので、この論理は演繹にならない。むしろこの論理は、多数派に属しないと不利になるという脅迫論証の一種といえる。

充填された語(loaded language)

  • A「私達は、罪なき善良な社会的弱者により一層の苦痛と不幸を強いるだけのB知事の残酷で無慈悲で恥知らずな政策に、知性と良識ある者なら当然そうするように反対の意を表明しました。しかしB氏は極めて嘆かわしく、そして愚かしい事に私達の訴えを退け、その幼稚な頭で考え付いたお粗末な政策を実行に移したのです。B氏のような人心を顧みず傲慢で冷酷で知能の著しく欠如した人物や、無思慮かつ無責任にもB氏を知事に選んだサル以下の知能しか持たない愚昧な市民の軽率な蛮行によって、この町はますます住みづらくなったように思えます
  • B「今般の軍事作戦により、我が国はかつての海外領土を回復した。なんと素晴らしい事ではないか!

これも論点先取の一種で、読み手(聞き手)に話題・論題への先験的な感情を惹起させようとする文章を言う。論理性ではなく「語調」に頼った主張を、loaded language(または emotionally charged words)と呼ぶ。必ずしも感情的・攻撃的・侮蔑的な形容句で装飾された文章のみを指すものではなく、常用語を用いた文章も含む。このタイプの詭弁は、情報操作やプロパガンダの手法として使われる。[6]受け手の感情や価値判断を暗黙に刺激するkey wordを文中にひそませ、ちりばめることで論理によらずに受け手を操作する。論点回避の一つ。

これらの詭弁を愛好する人にとっては、「常識」という語は、相手の感情や価値判断を刺激して(『充填された語』)、「多数派に属さないと不利」と暗に脅迫する(『多数派論証』)のに都合のいいアイテムなんじゃないかと思います。けれど、「受け手の感情が揺さぶられたかどうか」や「多数の人が賛成しているかどうか」は、ある命題が正しいかどうかとは無関係なはず。「常識」というキーワードに騙されてはいかん、と思います。

4. まとめ

  1. 「常識」はその時々で姿を変える不安定なもの
    • よって、「常識」を根拠にしても、主張を論理的に支えることはできない
  2. 「常識」を振りかざすのは詭弁のテクニック
    • 「常識だから」=「多数派に属さないと不利になる」という脅迫
    • 「常識」という語は、相手の感情や価値判断を揺さぶって論点回避するための便利アイテム
  3. 「常識」という語に騙されてはいけない