2012年、東京は2つのプライド・パレードを開催


全然知らなかったんですが、2012年の東京のLGBTプライド・イベントって2つもあるんですね。ジャパン・タイムズが報じてます。

これによると「東京レインボープライド」(TRP)が4月29日、「東京プライド」が8月11日なんだそうです。で、誰でも思うであろう疑問がこちら。


東京プライドと東京レインボープライドの違いは何? どうして今年は2つのパレードが予定されることになったの? そして、多くのLGBTがまっさきに聞くのはこれ。「東京は本当にもうひとつのプライド・マーチが必要なの?」
What are the differences between Tokyo Pride and Tokyo Rainbow Pride? How did there come to be two parades scheduled this year? And, the big question on the lips of many LGBT people: Does Tokyo really need another pride march?

これに対する説明として、ジャパン・タイムズはこれまでのパレードの歴史をまとめてくれています。要約するとこんな。

  • 1994年、日本初のゲイ・プライド・イベントとして東京レズビアンゲイ・パレード(TL&GP)が開催される
  • 1995〜1996年で参加者が3000人以上に増える
    • しかしオーガナイザー間の議論がもとで、その後数年間プライド・イベントはほとんど開催されず
  • 2004〜2006年、東京レズビアンゲイ・パレードが復活し、かなりの参加者を集める。しかし内部の軋轢や、無視された性的マイノリティーからの告発で泥沼化
  • 2007年に「東京プライドパレード」と名称変更するも、2008年に突然計画中止
  • 2009〜2010年はプライド・イベントなし
  • 2011年5月、「東京レインボープライド」のオーガナイザーが、「東京プライド」オーガナイザーに2012年の計画の有無を問い合わせ
    • 東京レインボープライドのイヌイ・ヒロミツ氏の意見(要約):「その時点では明確な回答はなかった」
    • 東京プライドのモンコ・ダイスケ氏の意見(要約):「誰でもパレードを開催できるが、まぎらわしいので名前を変えてくれるよう頼んだ。しかし無視された」

このような経緯で、2012年によく似た名前のプライド・イベントが2つ開催されることになったということらしいです。名前が何であれ、ゼロより2つの方がいいとあたしゃ思いますけど。

日本のパレードに関しては結構複雑な思いを抱いています。あたしは1994年から1996年まで毎年東京レズビアンゲイ・パレードで歩いてたんですが、第3回(1996年)が本当にひどくてひどくて。おまけにあのひどさが後日、実際に参加していなかった人の間では別の話に作りかえられてパワーゲームの材料にされているらしく(後述)、なんかもうげんなりしているところ。

事情を知らない人のために、第3回(1996年)の東京レズビアンゲイ・パレードで自分が実際に何を見聞きしたのかを書いておきます。まず、当日集合地点にやってきた時点で驚きました。実行委員(だと思う)がスピーカー片手に「四列縦隊に並んでください! 四列縦隊に並んでください!」「ダンスと音楽は禁止です!」「指示に従わない者は排除します!」って叫んでんのよ。

何だこれ軍隊か、刑務所か。マイノリティーの排除に抗議するはずのプライド・イベントで、「従わない者は排除します!」(これは本当にしつこいぐらい連呼されてました)て一体。それまでの2年はこんなことはなかったのに。不可解に思いつつ、それでも四列縦隊を作ってコースを歩き始めたとき、もうひとつの異変に気づきました。これも前年まではなかったことですが、なぜか多数の警官が右から左からパレードの列にへばりつき、犯罪者を見る目でじーっと参加者を監視してるんです。何ごとだ一体!?

……と思ったら、ですね。

パレード主催者側が、実行委員会でのもめごとが原因で、「パレード破壊分子が暴れる可能性がある。監視を」と警察に頼んでいたらしいんです。

そのもめごとってのは、「生と性はなんでもありよ!」というキャッチフレーズをかかげる団体「プロジェクトP」が、「なんでもありなどという無責任はまかりならん」とかいう理由で実行委員会入りを拒否され、論争になっていたというもの。その論争がもとで当日「パレード破壊分子」とやらが暴れると思い込んだ主催者側が、何も知らずにやってきた参加者を「破壊分子」予備軍として警察に監視させ、さらに集合地点でも「従わねば排除」とくどいほど連呼していたというわけ。

トラブルはさらに続きます。パレード終了後のステージ・イベントで、実行委員会の決めた「宣言」(HIV関連だったと思います)を、決も採らずに採択し、「これをパレード参加者○○○○人の総意として内閣総理大臣に提出する」旨発表されたんですね。なんだそれ初耳なんですけど。意見交換も議決もなしに、いきなり採択? なんであたし自動的にそれに賛成したことにされてんの?

参加者を疑い、排除すると脅し、警察の監視のもとで囚人みたいに歩かせておきながら、自分たちの「宣言」の箔付けのために人数だけ利用しようとしたってわけで、そりゃもう怒る人がいっぱいいました。レズビアン団体OLPは、ステージに駆け上がってパレード運営委員長からマイクを奪い、「異議あり!」と叫んでました。あたしゃそのときの「運営委員長、マイクを奪われるの図」の写真持ってます。最前列で、「写るンです」で撮りました。あ、「警官、パレード参加者に疑惑の目を受けつつ歩くの図」も撮ってます、ちなみに。

その後さらに、実行委員が女性参加者を「レズのくせに」と罵倒したり(この発言もこの耳でしっかと聞きました)、イベント終了後まだ会場にいた人に対し「障害者の連中だってもう帰ったのに」と障害者の参加者を馬鹿にしつつ罵ったりとか、ほんとにもういろいろあったんですよ。

それから15年後、つまり2011年にセクマイの友人と会って話をしたら、なんかこの1996年パレードのもめごとが「関東勢に敵対する悪の関西勢力のせいで引き起こされた」とされているという話を聞きまして。もう開いた口がふさがりませんでしたよ。当時関東にも関西にも住んでいなかったいち参加者として言わせてもらうけど、あのもめごとのすべての原因は東がどうした西がどうしたという問題ではなく、実行委員会による「排除」ですよ。プロジェクトPの排除、女性とレズビアンの排除、障害者の排除、そして善意の参加者の排除。あの場に集まった数千人は、例の「宣言」に権威づけするための頭数にすぎず、身体はその場にあっても意志や意見は排除されてました。つけ加えるなら、バイセクシュアルやトランスの参加者もいたのに名称が3年間「レズビアンゲイ・パレード」のままだったところも一種の排除です。「その後数年間プライド・イベントはほとんど開催されず」って状態に陥ったのは、当然の帰結でしょう。

その後の東京のプライド・イベントがどのような状態になっているのかは、あたしにはよくわかりません。ジャパン・タイムズのまとめのおかげでようやく概要が把握できたぐらい。

なお、


「私たちは活力を生み出すためにもうひとつパレードが必要だと考えました」と、TRPのマーケティング責任者であるイヌイは語る。「パレードがひとつだけだと、主催者はプライド・イベント(プライド・マーチ)を毎年改善していく必要を感じません。健康的な競争が重要なんです」
"We thought we needed another parade to create dynamism," Inui, the director of TRP's marketing, explains. "If you only have one parade, the organizers don't feel the necessity of creating a better pride (march) each year. Healthy competition is important."

というジャパン・タイムズの報道に対し、queerty.com


LGBTプライド・パレードの世界でも資本主義は働くのか? うーむ。
Capitalism at work in the LGBT Pride Parade sphere? Hm.

と書いているところが興味深かったです。昔あれだけひどい目に遭った自分としては、東京だと*1「健康的な競争」はやっぱり必要かもという気がしますね。何にせよ、参加者が楽しめるイベントになるといいなと思ってます。

*1:他の土地のパレードに参加した経験はないので、これがどこにでもあてはまることなのかどうかは判断しかねます。