ジョディ・フォスターの「カムアウト」

厳密には、カムアウトしたというより、単に公の場で自分の女性パートナーのことを隠さなかったということらしいんですけど。ソースはこちら↓*1

この記事のタイトルを直訳すると「ジョディ・フォスターがカムアウト――ようやく!」なんだけれど、中身を読んだら別に「私はレズビアンです」とか言い切ったわけではなく、スピーチ中で「私の美しいシドニー*2」への感謝の意を表明しただけみたい。でもCydney Bernardが女性で、ジョディのパートナーであることは有名だったから、「やっと認める気になったか」という話になってるようですね。

ジョディがレズビアンであることは今更どうでもいいんだけど(周知の事実ですし)、この記事でほんとうに読むべきなのは最後のパラグラフでしょう。カミングアウトするまでにこんなに長くかかったことは驚きだとか、もっと早く公言してくれればレズビアンの可視化に寄与できただろうという話の後に、筆者はこう書いてしめくくっているんです。


だが、ひょっとしたら、ジョディのことは大目に見るべきかもしれない。ニコール・キッドマンヘテロセクシュアルであると「発表」しなければならないだなんて、聞いたことがない。「カミングアウト」という大層な儀礼的行為がいまだに大騒ぎされるという事実は、ほとんどのストレートたちはいまだに「自分以外の人もみんな異性愛者だ」と決めてかかっているということを示している。ジョディにとって有利なのは、彼女はたった一度だけカムアウトすれば済むという点だ。有名人でないレズビアンやゲイは、誰かに新しく会うたびにカムアウトしなければならないんだから。

これですよこれ。ここを読まなきゃ!
誰それが同性愛者だとかそうでないとか、誰それはカムアウトしたとかするとかしないとか、そんな話はどうでもいいと思うんですよ。問題なのは、たかがカムアウトがいちいちおおごとになってしまう理由、または、同性愛者がいちいちカムアウトしなければならない理由。つまり、「人間はすべて異性愛者のはず」というヘテロのくだらない妄想がいつまでたってもはびこり続けていることの方だと思うんです。「ジョディ・フォスターって同性愛者なんだって」「ふーん」とか「やっとカムアウトしたのねえ」「そうねえ」とか言うだけで終わってはいけない話だと思うわ、これ。

*1:12/15追記:このへんでも報道されているのを見つけました。→http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/showbiz/showbiznews.html?in_article_id=501256&in_page_id=1773 http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/film/article3040426.ece http://www.planetout.com/entertainment/news/?sernum=6155&navpath=/entertainment/

*2:より正確には、"my beautiful Cydney who sticks with me through all the rotten and the bliss"、つまり「つらい時も至福の時もずっとしっかりと寄り添っていてくれた私の美しいシドニー」という言い回しだったようです。ソースはこちら。→http://www.planetout.com/entertainment/news/?sernum=6155&navpath=/entertainment/