日本語の複数形について - 古語だと人や動物以外にも複数形接尾辞がつくんじゃないの?

この2点の記事の、「日本語には複数形がない」という主張になんとなく疑問を感じます。特にこのあたり。

 前回、日本語に複数形がない、と書いたので、予想される反応として、「そんなことはない、人たち、や君ら、など、いろいろあるではないか」というメールが幾つかあった。もちろん、「たち」については、前回も触れているとおり、気づかなかったわけではない。
 「たち」は、「友達」のように、人間あるいは動物にしか使えない、せいぜい「人形たち」や、「ぬいぐるみたち」くらいが限界で、「木たち」や「草たち」は擬人表現としてしか使えない。
 「ら」も、ほぼ同様だが、これは現在では、代名詞について、「彼ら」と同様に「これら」なども使用される。しかし、物体にはやはり使えない。「筆箱に入ったエンピツら」とはいえない。
日本語でも、古語だと物にも「○○ども」と複数形接尾辞をつけて呼ぶと思うのですが。たとえば竹取物語で、くらもちの皇子が蓬莱の玉の枝を取りにいった(とウソをつく)ときの話にはこんなくだりがありましたよね。(強調は引用者)
その山、見るに、さらに登るべきやうなし。その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。金・銀・瑠璃色の水、山より流れいでたり。それには、いろいろの玉の橋渡せり。そのあたりに、照り輝く木ども立てり。その中に、この取りてまうで来たりしは、いとわろかりしかども、のたまひしに違はましかばと、この花を折りてもうで来たるなり。
この例だけでなく、古文には「物ども」とか「文ども」なんて言い方がたくさん出てくるので、必ずしも日本語の複数形接尾辞が人や動物にしか使えないわけではないと思うんですけど、どうなんでしょ。それともこれは最初から「日本語の」複数形の話なんかではなくて、「日本における現代語の」複数形の話だったのでしょうか。なんだかよくわからなくなってきました。
(後日付記:「やっぱり日本語にも複数形あるんじゃん!」2006-06-10)