「自分は同性愛に偏見はないのですが……」という但し書きについて

「ゲイレヅ映画/DVDレビュー」コーナーを更新するときは、自分なりにレビューを書いてから、「他の人の評価はどんなもんなんだろ」とGoogleで検索して遊ぶことが多いです。で、いつもモヤモヤすることがひとつ。
同性愛もののフィクションのレビューや感想文って、いちいち「自分は同性愛に偏見はないのですが……」っていう但し書きをくっつけてる人がけっこう多いのよ。これが気持ち悪くてしょうがない。わざわざそういう但し書きをつける裏には、「同性愛は偏見を持たれるのが当たり前」っていう前提があるわけじゃないですか。それが不快だわ。
たとえばさ、邦画の話をする外国人がいちいち「自分は日本人に偏見はないが、この『生きる』は……」とか「自分はアジア人を差別しないが、この『誰も知らない』は……」と「偏見のないワタシ」を枕詞にしてたらムッとするじゃんか。JAPANの映画だからってなんでもかんでも即人種差別問題と関連づけてしか考えられないアンタは立派に偏見のかたまりだよとあたしなら怒る。それと同じ意味で、同性愛者が登場する映画と見るや否やいそいそと「偏見のないワタシ」について語り始めるストレートの姿にひっかかりを感じるのよ。
自分は偏見のないすばらしい人間だとアピールしたいのなら、関係ない所で言葉だけでペラペラ語るんじゃなく、普段の生活の中の態度と行動で示せよ。そんでマイノリティーの側から「アンタってとことん偏見無いわねえ」と驚嘆されて始めて本物だってんだ、まったくもー。