「性別をこえる恋」という表現について

「性別をこえるほどの恋って憧れるけどなあ……」

(『くちびるためいきさくらいろ』(森永みるく一迅社)p110より)

これってこの漫画に限らずノンケさんがよく使う言い回しですけど*1、見るたびに複雑な気分になりますな。それじゃ何かい、国際結婚はどれも「国境をこえるほどの恋」だから、国内結婚より無条件で素晴らしいのかい*2。あるいは、健常者と障害者の間の恋は、「障害を乗りこえるほどの恋」だから、健常者同士の恋より立派だとでも言うのかい。違うでしょ。そういうもんじゃないでしょ。
人がただ好きな人と一緒にいようとしているのを、「そんな恋には支障があるから、踏みとどまるのが当然*3」と色眼鏡で見た上で、「その支障を乗りこえてるんだから、なんかフツーより格が上に決まっている!」とステレオタイプ化するのって、結局はとても失礼なことだと思います。そもそも同性間の恋愛でいちばんの障害となるのは、そういう呑気なヘテロさんの「同性同士の恋はタブー」という決めつけですしね。人の恋路に熱心に障害物を撒き散らしながら、「この人たち、この障害を越える恋をしてるんだわ! 素晴らしいわ!」とうっとりされても困るってもんですよ。

*1:「誰でもいいからゲイの人とお友だちになりたいの!」と目ェキラキラさせて言うノンケ女子なんかも、よくこういうことを言いますねー。

*2:無邪気にそういう憧れつーか思い込みだけで国際結婚して大失敗する人ってのは、けっこういるみたいですけどね。

*3:同性に惹かれても踏みとどまることができる人は、結局ヘテロセクシュアルなんだと思います。つまり、「人間なら誰でも踏みとどまるのが当然」なわけではなく、「ヘテロセクシュアルは踏みとどまるが、ゲイやレズビアンは踏みとどまらない/踏みとどまれない」というだけのことです。それは単なる性的指向の違いであって、ヘテロさんが妄想しがちな「禁忌を破る勇気」だの「愛の深さ」だのとは別物だと思います。