「人間って不安だと、他者をコントロールしたくなるものなのね」
田中美津さんの『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会)を読んでいて、下記のフレーズ(p. 8)を見つけました。母子関係についてのことばですが、他の多くの事柄についても当てはまる洞察だと思います。
人間って不安だと、他者をコントロールしたくなるものなのね。子どもに、そんなことしたらあなたこうなるじゃない、ああなるじゃない、なんて口うるさくいう。そうしていれば、問題があるのは子どもであって、自分じゃないと思えるでしょう。過干渉する親は、いわば自分の不安をそのまま子どもに投影させているわけね。
東日本大震災以来、まさに他者をコントロールすることで自分の不安を解消しようとしている(とおぼしき)人を、ネット上で数多く見かけました。それはつまり、こういう発言をする人たちのことです。
- 「阪神大震災はもっと凄かった*1。この程度で騒ぐのはバカ」(=阪神大震災経験者の自分は“問題ない”)
- 「女とはこういうもの。だから女は非常時にはこうすべき、ああすべき」(=マッチョな俺様は男だから“問題ない”)
- 「在日外国人は危険、きっとあんなことやこんなことが」(=俺様は日本人だから“問題ない”)
- 「直接被災していないのに不安に陥るなんて変。テレビに張り付きすぎ」(=テレビに張り付いていない自分は“問題ない”)
- 「地震は同性愛者への/我欲の張った日本人への天罰」(=同性愛者でない/我欲のない自分は“問題ない”)
嫌になるほど見かけたわ、こういう人。
「危地の際には生地が出る」というような言葉があったかと記憶しています。自分より弱いものに不安を投影して安心したがるのが人のサガだとしても、それをダダモレにするか、ぐっと踏みとどまるかに、その人の「生地」が出ると思います。せめて後者に近づけるよう努力ぐらいはしたい、とあたしは思っています。
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