非オタクの知人が初音ミクの歌を楽しそうに聴いていた

先日、アニメも漫画もまったく興味ない知人が携帯で何やら動画を見ていて、妙にアニメっぽい音楽が流れてたんですよ。以下、その時の会話。

みやきち「なんでそんなアニメっぽいもん見てるの?」
知人「ニコニコ動画の野球の映像で、『二遊間が破れない』っていうやつ。面白いよー」
みやきち「……ひょっとして、それ歌ってるの初音ミク*1
知人「あー、そういえば『初音ミクに歌わせてみた』とか書いてあったような。初音ミクって何なの?」
(以下、みやきちによる『初音ミクとは今バカ売れしてるDTMソフトで、元はヤマハが開発した技術を使って合成音声で歌わせることができて〜』という説明が続きます)
知人「ああ、それで『初音ミクに〜』っていうタイトルの動画がたくさんあるのか。『中日ドラゴンズが倒せない』っていうのもあるんだよ」
そして彼はいそいそと野球関係のいろんな初音ミク系のMADを検索しては、すごく楽しそうに見ていました。別にアニメ声に対する抵抗感もないらしく、「今はこんなソフトがあるんだねえ」「みやきちもなんか作りなよ」と面白がっていた模様。

それで思ったのですが、初音ミクを非オタク層にまで売り込むには、初音ミクが「どう歌うか」より「何を歌うか」の方が大事なんじゃないでしょうか。「技術的にこうだから、DTMの歴史上こうだからすごいんだ」とかいうのは、所詮「どう歌うか」でしかないと思うんですよ。で、それで巻き込めるのは、もともと音声合成技術とかDTMとかアニメ声の歌とかに興味がある人たちだけだと思うんです。そういったものに興味がない人にとっては、そんなことより「何を歌うか」=「このソフトを使ってどんなコンテンツを作れるのか」の方が、よっぽど大事なんじゃないでしょうか。単なる野球好きの知人が初音ミクの歌をあんなに面白がってソフト自体に興味を持ったのも、結局は「何を歌うか」の部分が強くアピールしたからだと思いますし。
考えてみれば、生身の歌手のファンになるときだって、「この人はこんなに技術的に優れているからファンになりました」っていうケースより、「この人の歌うこの歌が好きでファンになりました」ってケースの方が圧倒的に多いんじゃないかと思うんですよ。もちろん、初音ミクがパバロッティ並みの歌唱力を持ってて、聴くとアルファ波が出て肩こりが治っちゃうとでもいうなら話は別ですよ。でも、実際にはそうじゃないし、いずれそうなるんだとしてもまだ時間はかかるはず。なら、技術が技術がと連呼するより、「このソフトを使ってこんなに面白いコンテンツができますよ」という例をたくさん見せた方が、よっぽど非オタク層に訴求するんじゃないかと思ったりしたのでした。

余談

知人よ。あたしの解説でニコ動のいろんなオタ要素がわかって嬉しかったらしいのはわかるんだけど、朝から電話で「『らき☆すたOP』(彼の発音だと『らきすたオーピー」)って何?」とか訊いてくるのはやめてください。「それは一種の萌えアニメでー、OPっていうのはオープニングの略でー」とか逐一説明できる自分が虚しくなるじゃんかよ*2

*1:ニコニコ動画のアカウントさえ持ってないのに、聴いた瞬間「あ、初音ミク」と悟った自分のオタセンサーもどうかと思いました。

*2:でも、知人の反応を見ていて、こういうのをいちいち虚しがるのはオタの自意識過剰だなーとも思いました。非オタクにとっては、そんなのはわりとどうでもいいことみたいです。