アクセルとブレーキを同時に踏んでる百合作品って、何がしたいんだろう

アクセルとブレーキを同時に踏んでる百合作品ってのがたまにあります。つまり、わざわざ女のコ同士の関係を描きながら、その一方で「同性を好きになるのは変なこと」「本当の恋じゃない」「同性同士の恋は長続きしない」というメッセージを発信し続けるってタイプの作品ね。
例を挙げてみると、このあたりでしょうか。

  • 『プティ・ア・ラ・モード』佐野タカシ大都社
    • 話の途中で異性間の愛だけが「本当の愛情」で「普通の恋」だとする台詞あり。エンディングも「女のコ同士の関係は一時的なものになりやすい」と匂わせるものになっています。
  • 『アップル・デイ・ドリーム(1)』(城之内寧々、一迅社
    • 主人公(女性)が男性に興味ないと主張するたびに、主人公のカップリング相手(女性)から「それはおかしい」「それはどうよ」という趣旨のツッコミが律儀に入ります。
  • 『くちびるためいきさくらいろ』森永みるく一迅社
    • 同性を好きだと思う気持ちを「本当の恋じゃない」「恋に恋してる」「こんなこと考えちゃいけない」などと称するシーン多数。
  • 『その花びらにくちづけを』(ふぐり屋)
    • 「好き」だの「愛してる」だのと連呼しながら一晩中セックスした翌朝、なぜかもう将来別れることをシミュレーションして微妙に諦めモードに入ったエンディングになります(しかもこれがトゥルーエンド)。

こういうのって、たとえて言うなら

  • 女子スポーツを描いた漫画で「女のコは筋肉なんかつけちゃダメ」「汗もかいちゃダメ」と連呼する
  • 猫漫画で「猫は陰険で可愛くない、犬の方がいい」と主張し続ける
  • ボクシング漫画のエンディングで「しょせんボクシングはキックボクシングより弱い」とアピールして終わる

……というのと同じことだと思うんですけど。まさにアクセルとブレーキを同時に踏んで空回りしてる感じで、何がしたいのかよくわからないんですよね。

アクセルだけを踏めと言いたいわけではないんですよ。別に百合物だからって同性愛賛美一色に染まる必要はないし、要所要所できゅっとブレーキを踏んだりまた加速したりした方がお話にメリハリができて面白いってことは当然ありますしね。でも、常時ブレーキを引きずってゴムの焦げる匂いを漂わせながら(=『女のコ同士の恋なんてダメ』という基本姿勢を保ちながら)ずーるずーると進んで行ったり、ゴール間際でなぜか急ブレーキ踏んで減速しちゃったりする(=『女のコ同士は長続きしない』と恋心に冷や水をぶっかけてエンディングを迎える)というのは、何がしたいのか本当にわからんです。そんなにブレーキを踏み続けなきゃいられないのなら、そもそも車なんか乗るなよと思うんですよね。別に創作のジャンルは百合だけじゃないんだから、好きなだけ男女物を創ればいいのにー。要するにこの「ブレーキから足が離せない」状態っていうのが、ホモフォビア(同性愛恐怖症)ってやつなんだろうなと思う昨今です。

後日付記

上記とほぼ同じことを別の言い方で書いたエントリがこちら。

……とリンクを貼ってもリンク先まで読まない人が大半だと思うので、以下に全文転載しときます。



同性愛のほとんどは伝えてしまったらおしまいなのよ
このお話(引用者注:「人魚姫」のこと)と一緒で“悲恋”になってしまうの

ずっとそばにいたいのなら ずっと友達でいなくちゃいけないのよ

金田一蓮十郎. (2008). 『マーメイドライン』. 一迅社. p17.)


やっぱり私は 同性愛の恋にまゆこの望むようなハッピーエンド(引用者注:『底抜けに明るくて読んでて幸せになる』ようなハッピーエンドのこと)はないと思う

金田一蓮十郎. (2008). 『マーメイドライン』. 一迅社. p101.)

『マーメイドライン』を読んで以来、これらの頭ごなしの決めつけのはた迷惑さは何かに似ていると思っていたのですが、ようやくわかりました。細木数子です。何も悪いことをしていない人に向かっていきなり「地獄に落ちるわよ!」と暴言をぶつける細木数子の迷惑さ加減と同じなんだわ、これ。ちなみにこれらの台詞は、その内容の的外れ具合という点でも細木数子と変わらないと思います。だって、現実には幸せな恋愛を楽しんでいる同性愛者だってたくさん存在するんですから。

問題は『マーメイドライン』だけじゃない

百合業界において細木数子チックな迷惑決めつけをかますのは、別に『マーメイドライン』だけではありません。

  • 「(同性同士だから)いつかは別れる」
  • 「(同性同士だから)気持ち悪がられる」
  • 「(同性同士だから)本当の恋じゃない」

のように同性愛者全体を十把ひとからげにした根拠レスなネガティブ発言は、作品内の表現にせよ、読み手側の嗜好の発露にせよ、百合業界ではちらほら見かけるものだと思います。(それが主流派でないのは幸いですが)

百合業界の細木数子ズの問題点

上で「根拠レスな」ネガティブ発言と書きましたが、言っている本人だけは「根拠」があるつもりなんですよね。その根拠がいかほどのものか、今一度検証されてはいかがかと思うんですけど。
というのは、これらの細木ズが信奉している「同性愛者だから、地獄に落ちる(不幸になる、うまくいかない、etc.)わよ!」っていうのは真っ赤な嘘だからです。真相は、「アンタが同性愛者だから、私(たち異性愛者)がアンタを地獄に落とすわよ!」といったところでしょう。異性愛者からの抑圧がなければ、同性愛者の不幸なんてアホほど減りますよ。そういったストレートの(=自分たちの)側の暴力性に目をつぶって「同性愛者は自動的に不幸になるべく運命づけられているのだ、ああ切ない切ない」とうっとりするなんて、虫がいいにもほどがあるってもんです。これについては、id:nodadaさんの名言↓がすべてを言いつくしていると思います。


ていうかあれよね、同性愛を禁断にしてるのって、今のこの異性愛社会よね。抑圧してる側が自ら禁断に仕立て上げておいて、時にはうっとりしたり時にはパニクったり時にはバッシングしたりとか、本当に世話ないって言うか一人上手って言うか、はたから見ていてやたらイタい…。

あと、予言の自己実現ってもんもありますからねー。思春期の同性愛者がロールモデルを求めて百合作品を読んでて、「同性同士の恋はうまくいかないのだ! それが当然なのだ!」みたいな発想を刷り込まれるなんてのは、百害あって一利なしだと思うんです。そうした意味でも、こうした表現/発言は迷惑だなあと思います。

まとめ

何の根拠もなく「(同性愛は)不幸になる/うまくいかない/嫌われて当然」などと頭ごなしに決め付ける百合作品&百合ヲタは、細木数子の珍発言と同じぐらい的外れで、横暴で、迷惑。生暖かい目で見守りましょう。