百合業界(の一部)と包茎手術業界の類似点について

2007年9月29日の日記「アクセルとブレーキを同時に踏んでる百合作品って、何がしたいんだろう」Toppoiさんからトラックバックをいただきましたので、お返事などいくつか。


百合男くんは自分が介入する余地が0になるのが嫌なんだと思う。
それはきっとありますね。「お、俺も混ざっていいすか?」的な何かというか。


連中にとって『同性同士にも偏見がない』『同性も愛せる』というのは輝かしいステータスであるらしい。ステータスがステータス足るためには、常人が簡単に手にできるものであってはならない。そういうわけで、登場人物はことあるごとに「同性愛は異常!」を強調するんじゃあないかな。
私は「くちびるためいきさくらいろ」とか読んでると、作者の「この子は『同性を愛せる』だなんて異常でトンでもないことができるのよ!!スッゴイでしょ!!」という声が煩いほど聞こえてくるんだけど。皆さんはどうでっしゃろ。

私は「少女セクト」みたいな、変に精神疾患・愛の障害・ステータス扱いしていないのんびりした作品が好きだねぇ。

すごくよくわかるし、特に「変に精神疾患・愛の障害・ステータス扱いしていないのんびりした作品が好き」という部分には共感しまくりです。
だって、毎朝起きて彼女とごはん食べてこうしてのほほんとPCに向かってる自分自身が、別に女性同士で付き合うことを精神疾患とも愛の障害ともステータスとも感じないからです。ただの「日常」ですわな、こんなもん。目が覚めて隣に寝てる相手が同性だからって、いちいち「『性別を越える愛』を営めるアテクシカコイイ」なんて思いませんしね。

んで、百合業界の一部の「ステータスを維持するために、病気でもないありふれたものを異常視して騒ぐ」という点が何かに似てるなあと思ったら、包茎手術業界でした。日本人なら6割以上が仮性包茎だっていうのに、「包茎は異常」「大変なこと」と煽り立てるあの業界と、やってることはたいして変わらない気がします。つまり、「手術したら自信がついて女の子にモテモテ」っていうのが「タブーを越えて同性を愛せるアテクシスゴイ」に双頭じゃなくて相当するわけですね。やですねー。なんらかのステータスを作り出すために、異常でも何でもないものをやたらと異常扱いするっていうのは、いかんと思うですやっぱり。