その「思う」は、"think"なのか、"believe"なのか、はたまた"feel"なのか

昔英作文の時間に習ったんですけれども、日本人は日本語の「思う」という表現を全部"think"で訳したがる傾向にあり、それは間違いなんだそうです。英語では、事実を基にしてある程度自信を持って判断したときならば"believe"、個人の感覚でなんとなく思ったときは"feel"というように*1、当人の確信具合によって「思う」という意味の動詞を使い分けるからです。なんでもかんでも"I think...""I think..."で済ませると「こいつはいったいどの程度の根拠や確信に基づいてそう話しているのかわからない」ってことになって良くないのだとか。

そう習って以来、あたしは日本語で「思う」と書くとき、「これは"think"なのか、"believe"なのか、はたまた"feel"なのか?」と考えるくせがつきました。根拠を基にはっきり確信しているときは「いいと思います」ではなく「いいです」と言い切るとか、個人的な感覚だと思ったときは「〜と感じました」と書くようにするとか、ほんの少しだけど表現に強弱もつけるようになりました。「思う」と単純に書くときでも、「これを英語だったらどう言うか」は、あたしの中でははっきり認識されています。おかげで前よりもしっかりと自分の思考を練ることができるようになったと実感しています。
外国語を学ぶ最大のメリットは、「外国人とペラペラ喋って意思疎通できるようになること」ではありません。それならば、一生自国で暮らす人は外国語を習う必要がないということになってしまいます。けれども、一生母国から出ない人だって、外国語を学ぶことによって、いつも母語でなんとなく流して考えてしまっているところを深くとらえ直すことができるようになります。その過程で思考が刻まれたり磨かれたりして、よりしっかりと自分の心に寄り添えるようになるというのが、外国語を学ぶ最大のメリットだとあたしは考えます。
最近、小学校で英語授業をするだのしないだのとやかましく議論されていますが、「"think"は『思う』で"believe"は『信じる』」なんて逐語訳しかできないような粗製濫造の講師が適当にお歌やお遊戯をして終わりになるぐらいなら、しない方がいいんじゃないかな。ペラペラと発音よく喋らせることだけを考えて外国人講師を入れたって同じです。母語でなんとなく流さずに、自分の発想という海の中に深く深く潜って、いちばんぴったりの表現を探すこと。つかみとること。そこのところを教えなければ、何語を習ったって「コミュニケーション能力」なんて上がりゃしないよと、あたしは思っています*2

*1:もちろんこの他にも、"I suppose..." "I expect..." "I'm afraid..."等々、英語にはほんとにたくさんの「思う」という言い回しがありますね。

*2:ちなみにこの『思っています』は、"I definitely believe"です。