村上春樹風にしようと末期がんネタに持ち込もうと、ダメ男はダメ男。さらなる改変カモーン!

これって要するに民話(または民間伝承)でしょ?

Facebookで「いい話」として流通している(そして『いい話ではない』という批判も出ている)らしきこの話ですが、snopes.com: Carried Wifeによると、この話のこれまでの流通経緯は以下のようになるらしいです。

  1. すくなくとも2004年の5月にはマレーシアのニュースグループに投下された話で、書き手は不詳
  2. その後、アジア系のオンラインフォーラムやニュースグループで流通した(だから妻は箸を投げるんである)
  3. 最初期のバージョンはもっと長く、夫が新婚時に妻を抱き上げて運んだことを回想する場面から始まる
  4. 初期バージョンでは浮気相手の名前はジェイン(Jane)ではなくデュー(Dew)で、オチは楽天的(妻は死なない。夫は浮気をやめ、花屋でカードつきの花を買って帰る)
  5. 2007年4月から流通し始めたバージョンでは、夫が帰ると妻が死んでいたというオチになっている
  6. 2009年5月から流通し始めたバージョンでは、妻は死ぬまでがんで数ヵ月闘病していたことになっており、「妻は病気を隠し、息子に両親が離婚すると知られまいとしていた」という自己犠牲の要素が盛り込まれる

もともとが実話だったかどうかは誰にもわかりませんが、今となってはこれは現代の民話または民間伝承としてさまざまなバリアント(変形)を生み出しつつ語り継がれているってことなのだと思います。ひとつひとつのバージョンが「いい話」かどうかを論じるより、それが生まれてきた背景を考える方が、自分には面白いなと思いました。

IDEA*IDEAさん版もやはり変形されてます

IDEA*IDEAさんの「超訳」版にしても、原文としてリンクされている英文からはずいぶん変更が加えられています。以下、原文と「超訳」とを比較してみます。

まず原文を見てみましょう。IDEA*IDEAさんからリンクを貼られている30 Days of Carrying My Wifeの冒頭を直訳すると、こんなです。


ある晩帰宅し、妻が夕食を出しているとき、手を握って言った。「離婚したい」。彼女がぼくのことばにむっとした風はなかった。代わりに妻は、なぜ離婚したいのかと静かに尋ねた。ぼくがその質問をはぐらかしたので、妻は立腹した。彼女は箸を投げ捨てて叫んだ。「それでも男なの!」と。ぼくらはその日の夜、お互いに話しかけなかった。妻はすすり泣いていた。彼女が自分たちの結婚生活に何が起こったのか知りたがっていることはわかっていたが、満足のいく答えはあげられそうになかった。ぼくの心はもうジェインのものだったからだ。妻のことはもう愛していなかった。ぼくはただ妻を憐れんでいたんだ!
I got home one night and, as my wife served dinner, I held her hand and said, “I want a divorce.” She didn’t seem to be annoyed by my words. Instead, she softly asked me why. I avoided the question, and this made her angry. She threw down the chopsticks and shouted, “You are not a man!” We didn’t talk to each other that night. She was weeping. I knew she wanted to find out what had happened to our marriage, but I could hardly give her a satisfactory answer; she had lost my heart to Jane. I didn’t love her anymore. I just pitied her!

自分が浮気しておいて、理由も告げずに「離婚したい」と言い出し、質問されてもごまかし、それでいて心中ひそかに妻を憐れんでいるという最低男ですな!

それがIDEA*IDEAさんの超訳だと、こう。


その日、僕が家に帰ると妻がちょうど夕食を準備しおえたところだった。僕は大きく息を吸い込んでから静かにこう言った。
「話が、あるんだ」
彼女はゆったりと椅子に腰をかけながら耳をすませ、食事を始めた。僕の言葉を待っているのだ。
そして僕は知っていた。彼女は僕が何を言いだすのか、もうわかっているのだ。
あれだけ心の準備が出来ていたはずなのに一瞬、僕は何も言えなくなってしまった。でも言わなくちゃいけない。
「離婚、したいんだ」
静かにそう言い終えたときでも、彼女のよどみない食事の動作には変化がなかった。いつもどおりの夕食、いつもどおりの彼女の食べ方だ。
ただ彼女は僕にひとつ質問をした。
「なぜなの?」
僕は彼女のその質問にすぐに答えることができなかった。
一瞬にして空気が変わったのに気づいたのは、彼女が投げつけた箸が壁にあたった直後だった。彼女は泣き叫び、僕は沈黙し、夕食は僕の妻に対する気持ちと同じように冷めてしまった。もう僕らは話をしていなかった。彼女のすすり泣く声だけが、その場に存在していた。
妻は僕たちに何が起きたのかを正確に知りたがった。でも僕はそれに対して満足のいく回答を与えることができなかった。ふたりの会話は堂々巡りをはじめていた。
でも物事はいつだってシンプルだ。僕は妻ではない別の女性、ジェーンを愛してしまったのだ。

【注目ポイント】

  • 原文では、妻が怒ったのは、主人公が質問に「すぐに答えることができなかった」ためではない。主人公が妻の質問を意図的に回避する(avoid)という不誠実な態度をとったせいである。
  • 原文では、妻は箸を壁に投げつけていない(threw down であってthrew against the wallじゃない)し、箸を投げた後も別に「泣き叫んで」はいない。
  • 原文では、妻は箸を投げた後、「堂々巡り」の会話を繰り広げたりもしていない。夜じゅう夫婦無言でいるあいだにすすり泣いていただけである。
  • 主人公が妻を憐れんでいたという部分が、なぜかIDEA*IDEAさんバージョンでは抜け落ちている。

主人公の傲慢さと不誠実さを示す部分を削り、奥さんの感情的な反応を強調することで、「村上春樹風のクールな主人公と、箸を壁に投げつけて泣き叫ぶヒステリック妻」の話に改造されていることがわかります。ひょっとしたら、原文よりもまだ主人公に共感させやすくして「いい話」度を上げるための改変なのかもしれません。死にネタや自己犠牲ネタが好きで、後半の末期がん部分のアラ(末期がんをわずらった人を身近に見たことがあれば、どこがどうアラなのかすぐわかると思います)(どうせならここを改変しちゃえばよかったのに)が気にならない人なら、この冒頭につられて狙い通りに「いい話」と受け止めた人もいたかも?

初期バージョンは果たして「いい話」だったのか?

ちょっとGoogleで検索してみただけで、こんなんが出てきました。

浮気相手の名前がデューで、奥さんはがんにもならず、死にもしません。おそらくこれが初期バージョンのひとつなのでしょう。この主人公は、奥さんを抱っこしつづけた結果、浮気相手とこんなことになってます。


ぼくはデューの手を頭からどけた。「すまない、デュー」とぼくは言った。「離婚はしない。ぼくの結婚生活が退屈だったのは、ぼくと妻がもうお互い愛し合っていないからじゃなくて、ぼくと妻が生活の中の細かな部分を軽視していたからだったんだ。今では、結婚した日に妻を抱き上げて家に運び込んで以来、死がふたりを分かつまで彼女を腕に抱くことになっていたんだとわかったよ」

デューは突然目が覚めたようだった。彼女は大きな音をたててぼくを平手でひっぱたき、ドアを叩きつけて閉め、わっと泣きだした。ぼくは階下に降り、車を運転してその場を去った。途中の花屋でぼくは妻のためにブーケを注文した。花屋の女の子がカードに何を書きましょうとたずねた。ぼくは微笑み、こう書いた。「死がふたりを分かつまで、毎朝きみを抱き上げて運び出すよ」
I moved her hand off my head. “Sorry, Dew,” I said, “I won’t divorce. My marriage life was boring probably because she and I didn’t value the details of our lives, not because we didn’t love each other any more. Now I realize that since I carried her into my home on our wedding day I am supposed to hold her until death does us apart.”
Dew seemed to suddenly wake up. She gave me a loud slap and then slammed the door and burst into tears. I walked downstairs and drove away. At the floral shop on the way, I ordered a bouquet of flowers for my wife. The salesgirl asked me what to write on the card. I smiled and wrote: “I’ll carry you out every morning until deaths do us apart.”

この後妻がどんなリアクションを見せたかは一切書かれず、お話は末期がんバージョンの最後あたりとほぼ同じオチに到達します。すなわち、主人公視点から「豪邸でも動産でも銀行預金でもなく日常生活の中の細かな部分こそが幸福のもとなのだ、だからそういう細かいことを大事にしなさい」(要約)と説かれてお話は終わりです。

しかしこれだってたいがいひどい話だよね。妻を裏切ったかと思ったら、今度は浮気相手をあっさり捨て、浮かれて花買って「幸せになる秘訣」について語り出すとは。おめーに言われたくねーよ。やはり自分にはとても「いい話」とは思えないのですが、ひょっとしたら同じように思った人が末期がん部分を付け加えたのかも。

あ、もしかしたらこの話が不倫男にとってすごく都合がいい展開なのは、もともと女性蔑視の強いアジア圏で流通していたストーリーだったせいかもしれませんね。そこに疑問を持った誰かが男への罰として「妻の死」要素を取り入れ、さらに別の人がドラマチックな自己犠牲をもとめて死因をがんにして……と変化に変化を重ねて、今のバージョンまで来たのかもしれません。それでもまだ、主人公のダメさ・身勝手さはまだまだ鼻につきすぎると自分は思いますが。

さらなる改変カモーン!

今のところ目にしたどのバージョンも今ひとつ説得力に欠けるようにわたしの目には見えます。とは言え、昔なら何百年もかけて世界をめぐり、別バージョンを生み出していた民話/民間伝承が、ネット時代の今だとこれだけかんたんに変化を追えるということはすごく面白いです。もっといろんな国で語られるうちに、主人公のダメ男っぷりや無理やりな末期がん設定をさらに改変しまくったパターンも出てくるんじゃないかなあ。むしろそれが読んでみたいですね。