にほんごは ぜつぼうてきなまでに つうじない

いや通じないのは英語だろうとラテン語だろうとパシュトゥー語だろうと一緒だろうと思うんですけど。

とりあえず日本語の場合、たとえば「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と書いたところで「『こんい』はりょうせいの『あいい』のみにもとづいて『せいちょう』し」と読まれて終わりだし、「邪悪なものの暴虐を退けたまえ、と私は神に祈った」と書いても、「『じゃま』なものの『ぼうりょく』を『まけたまえ』とわたしはかみに『おった』と読まれて終わり。意味なんか通じるわけがありません。(ああ、ここまで読んで『自分はそんな風に読まない!』と逆上された方へ。お願いだから最後まで読んでください)

上記の例はネタでもあたしの創作でもなくて、こういう風にしか日本語を読めない中高生(皆、日本生まれ日本育ちのネイティブ日本語スピーカーですよ)というのはそのへんに当たり前に存在するし(そんなの嘘だ、というのは単に均一な知的レベルの人しか周りにいない人生を送っておられるのだと思います)、そういう子たちも無事大学生になり、社会人になっていくんですよ。ということは、大学生や社会人にも「『こんい』はりょうせいの『あいい』のみにもとづいて」調の人は、いっぱいいるということだよ。本人は読めると思ってるし、周囲も音読させないから気づきにくいだけで。

ではひらがなで分かち書きをすればすべて解決するかというと、そうでもなさそう。というのは、内容把握についても状況は大して変わらないから。たとえば「父子家庭のお父さんと子供ふたりの会話」を描いた小説文の問題があまりにも解けていない浪人生の家庭教師をしていたときのこと。問題文を3回通りほど音読(読めない漢字や、意味のわからない語は解説)させてから一旦伏せ、
「さて、このお話には誰と誰と誰が出てきたでしょう?」
と聞くと、脂汗をかいて唸ってるんですよその子。
「ヒント。家族の物語です」
と言うと、
「(顔を輝かせて)お母さんとー、」
いやだから父子家庭のお話だってば。「お母さん」は一瞬たりとも出てきてないから。

こういう話をすると全部ゆとり教育のせいにしたがる人もいそうだけど、こういうタイプの人は、ゆとり教育以前からフツーにいたんじゃないですかね。もちろん、中学高校まではこんな調子でも、大学生活や社会人生活で鍛えられて、書きことばをサクサク理解吸収できるようになる人もいるでしょう。でも、全部が全部そうだとはあたしには思えないな。もう、書きことばで何か伝えようとする方が無理なんじゃないかと思うわ。何書いたって「『じゃま』なものの『ぼうりょく』を『まけたまえ』」式にしか解釈されないと思っといた方がいいんじゃないだろうか。もちろんあたし自身だって、本人が気づいていないだけでそういう風にしか解釈できていないという可能性は多分にあるし、となると読むことも書くことも全部無駄無駄無駄ー。どうしましょうね、これから。

(そして、上記の文を読んで『生徒の個人的な発言を晒して嘲笑するとは、なんたる奴だ!』とか言って怒り狂う人もきっと出てくると思うんですよね。きちんとフェイクを入れてあるし、嘲笑なんかしてませんよ)(でもそういう人はここまで読まなかったり、読んでくれたところで伝わらなかったりするので、ここでこんなこと書いても無駄)(てゆーかあたしもそうだけど、ひとたび文章のどこかが読み手の心の傷にズガッと響いちゃうと(それは書き手の意図とかとは無関係に起こってしまうことだけど)、読んでる方はもうそれだけで手一杯で、他の情報入らなくなっちゃったりするよね)(誰だって傷は痛いもんねー)(そういうわけで、とにかく無駄。何やっても無駄)(ホントにどうしましょうね、これから)