なんで「見せる」で「10本」なの?

(※2008年7月28日追記:一部に誤りがあったので修正しました。ご指摘くださった方、ありがとうございました)

このエントリから始まって、いろんな分野の「非オタの彼女に○○を軽く紹介するための10本」というエントリが書かれているようだけれども、この元記事にはどうしても拭い去れない違和感がふたつ。

1. なんで「見てもらう」や「見せてあげる」じゃなくて「見せる」なの?

ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
なんで「見てもらう」や「見せてあげる」じゃなくて「見せる」なんでしょう。そのあたりの微妙な上から目線に、なんだかひっかかるものを感じます。

2. なんで最初からひとりで10本選んじゃうの?

彼女の希望を聞いてから「それならこれを」とまず1本選んであげて、あとは彼女からの「こういう系列のがもっと見たい」とか「もっと○○な作品がいい」とかのフィードバックを参考にして2本目、3本目を選べばいいじゃんね。ソムリエだってまず相手の好みや予算や合わせたい料理を聞いてからワインを選ぶでしょ? それと同じでさ。
それをひとりで妄想しながら最初から10本もガガーッと選んじゃうあたりがどうにもこうにも気持ち悪いです。ぜんぜん「相互のコミュニケーション」になってないでしょ、これ。つか、最初の1本で彼女が「やっぱアニメは合わないや、ごめん」と断る可能性は無視ですかい。

3. おまけ

この言葉をちょっと連想したりしました。

男性たちは「豊富な話題」と「自分への理解」で女性を射止めようと考えるが、女性は「主張するだけで、わたしへの興味関心がみえない」と受け止める。

4. 補足

元増田はともかく、それを受けてあくまでもネタとして書いてる分には面白いし、いいと思うんですけどね。それなら「見せる」も「10本」もただのテンプレとして使っているだけで他意はないのでしょうし。でも「豊富な話題」と「自分への理解」に夢中になってオナニー的に10本選んでる人はかなりヤバイと思うわ個人的には。