10月16日のエントリ「『所詮、女は顔で男を選ぶんだよ!』と言っている男の子は、まず自分の父ちゃんの顔をよく見るべき」についてタネ明かし

※追記(「関連記事」を追加)あり(18日11:00pm/20日10:55am)
ああいう小話みたいな文章にタネ明かしを書くのは野暮かなとも思ったのですが、見事なまでに野暮な食いつき方をされた方もいらしたようなので、昨日まとめておいた「タネ明かし編」に少しだけ手を加えてupしてみます。ちなみに「野暮な食いつき方」とは、たとえばこちらの方のことです。

時代が違う。そんな簡単なファクターも考慮できないのかこのバカは。
※長い文章が読めない方は、今回はいちばん最後の「まとめ」の3つの文章だけお読みください。

前回のエントリのまとめ

  • 主題:「男性も女性も、美醜だけで相手を選ぶのではない」
  • 副主題:「最も身近な異性とは『異性の親』である。そこを無視して、異性を想像(または妄想)だけでステレオタイプ化するのは滑稽」

文章中に仕込まれた「仕掛け」

ネット上で恋愛にまつわる話を書くと、必ず、全体的に読みもしないで、自分が理解できたわずかなフレーズだけに過剰反応する人というのが出てきます。そこであの文中には、あらかじめいくつかの仕掛けを仕込みました。

仕掛けその1:「最近の若い女は」という言い回しを使っていない

16日のエントリのタイトルをもう1度見てください。「最近の若い女は」でも「今時の若い女は」でもなく、「所詮、女は」という言い回しで始まっています。つまり、あのエントリで話題にしているのは「想像だけで『異性全体を』ステレオタイプ化してしまうことの愚かしさ」であって、世代間ギャップの話など最初からしていないのです。にもかかわらず「時代による価値観の違い」を根拠にあのエントリを批判するのは的外れです。なお、世代間の話については、あとでもう少し述べます。

仕掛けその2:「男は」でなく「男の子は」という言い回しを使っている

前回のエントリのタイトルをもう1度ご覧下さい。「男は」でも「男性は」でもなく、わざわざ「男の子は」と書いているのがおわかりでしょう。つまり、あのエントリは、成人前の「子ども」(の一部)の主観について述べた文章です*1
にもかかわらず、ハタチをとうに過ぎているのに「オレの/わたしのことかーッ!!」と逆上した人がいたとしたら、その人は永遠に子どものつもりでいるピーターパンか、あるいは単に読解力のない人です。どちらと議論しても実りはなさそうなので、ここではそういった人たちのことは無視することにします。

世代間の話の続き

ここで、世代間の話の続きに戻ります。この「男の子」がたとえば成人直前の19歳だとしても、彼が生まれたのは1987年、バブル文化まっさかりの時代です。ではその時代、男はブサイクでももてまくっていたのかというと、そんなことはまったくありません。女性の視線を気にして、「ホットドッグプレス」や「ポパイ」片手に必死で外見の向上に努めていたのが当時の男性たちです。つまり「父ちゃん」の世代と「男の子」の世代に、美醜についてそう大きな価値観の差はない、ということになります。だいたい、コンセントピックスが「顔」(歌詞はこちら)でポプコンのグランプリを取ったのが1984年ですよ。今10代の子どもがいる「父ちゃん」の青春時代とは、そういう時代だったんです。
ついでにバブル以前にもさかのぼってみることにしましょう。こちらのページによると、資生堂が本格的男性用化粧品資生堂フォアメン」を売り出したのは、バブル期ところか1959年のことです。資生堂はさらにその前、「1898年に「オイトリキシン 花かつら」という水油を発売し、 男性にも使えることを 広告で謳っ」てさえいます。そうすると、「父ちゃんの世代は男は美醜で選ばれなかった」と主張する「男の子」の父ちゃんは1898年以前に恋愛してた人なんでしょうか。それで今、成人前の子どもがいるなんて、すごい父ちゃんですね。

「時代のせい」「『最近の若い女は』男を顔で選ぶ」論の決定的な矛盾

それでもどうしてもどうしても「時代のせいだ!」「最近の若い女は!」と言いたくてたまらない方もいらっしゃると思います。そこで、さらにいくつかの反論を述べておきます。

  1. 男が全般的に顔で選ばれる「時代」とは西暦何年から何年までのことですか? また「若い女」とは何歳以下のことですか?
    • その部分に明確で論理的な定義づけができないのなら、「時代のせい」論や「最近の若い女」論になど何の意味もありません。主観だけに基づく「最近の若者はすぐキレる」論に何の意味もないのと同じです。
    • 仮に適当に「『1990年以降に生まれた女』を最近の女とする」などと決めたとしても、本当にその年代の女性だけが「顔で男を選」んでいると立証できなければ、それはただの根拠薄弱な思いつきであり、事実とは言えません。ちなみに事実とは、「(a)自然に起こる現象(某日某地における落雷)や自然法則(慣性の法則);過去に起こった、人間の関与した事件(某年某地における某氏の出生)などの記述で、(b)然るべきテストや調査によって真偽(それが事実であるか否か)を客観的に確認できるもの」*2です。
  2. 男性の美貌が価値を持つのは「最近」だけの現象ではない
    • 前段でとりあげたのよりさらに極端な例を挙げましょう。紫式部は『源氏物語』の中で何度も何度も光源氏の美貌について描写し、「いと、めでたし」と絶賛しています。本当に昔の男性は美貌で評価されなかったのだとしたら、なぜ紫式部がそんな描写をしたのか明確な根拠をあげて説明してください。

まとめ

  • いつの時代でも、男性も女性も、醜いものよりは美しいものが好まれる。それは、歴史をひもとけばすぐわかることだ。
  • けれども、美しいものだけが恋愛や結婚の相手を得ているわけではない。それは、現実にパートナーを得ている人(それこそ、自分の両親など*3)を観察すればすぐわかることだ。
  • 歴史的事実も現在観察できる事実も無視して「異性というものはこうだ」と騒ぐのは、結局は自分にとって都合のいい「物語」しか受け入れられない人である。

関連記事(2006-10-18, 11:00pm追記)

ビューワー様から、「内容的に繋がるものがあるのでは、」とご指摘いただいたエントリへのリンクを張っておきます。(ご指摘ありがとうございました!)

なお、19日に書いたまとめはこちら。

お勧め図書

ピーターパン君(さん)や読解力のない人、話を捻じ曲げて自分好みの「物語」に結び付けてしまう人に悩まされている方にお勧めの本リスト。

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*1:「父親」「母親」ではなくわざわざ「父ちゃん」「母ちゃん」という幼児語を使ってあるのも、同じ理由によります。

*2:『理科系の作文技術』(木下是雄、中公新書)p104

*3:もしももっと若い層についてのデータが必要なら、TDRなどカップル率が高いところで一日観察すれば済むだけの話。ああいうところを歩いている若いカップルは、本当に『美男美女だけ』なんですか?