実験小説「愛とタブーについて」(言うまでもなくフィクション)

めしが炊けたのを見計らって、味噌汁をおわんによそった。卵焼きはおれ好みに醤油と砂糖で味付けしてある。サンマを火からおろして大根おろしを添えていると、玄関のチャイムが鳴った。ドアスコープを覗くと、褐色の顔がニコニコ笑っている。
「コニチワ。コニチワ。ワタシは○○大学の留学生の、ヌエラムルギと申しマス」
おれは大学から「留学生の異文化交流プログラムを手伝え」と言われていたのを思い出した。普通の日本人学生の日常生活を見せてやれ、とかなんとかかんとか。申し込み用紙の「平日夜ならいつでも可」のところにマルをつけたのはおれ自身だが、まさかめし時に事前の連絡なしでやってくるとは思わなかった。これも異文化というやつか。
エラムルギは2メートル近い大男で、中に招き入れるとおれのオンボロ1DKは一気に狭くなった。「鈴木です」「ヌエラムルギです」と名乗りあったあと、おれは言葉につまった。何を話せばいいんだ。それに、さっさと済ませてめしを食いたい。
「あっ」
食卓の上を見たヌエラムルギが突然叫んだ。
「あっ。あっ。頭がついてる魚」
サンマのことだろうか。
「ワタシの国ではそれを食べる人いない。頭を食べるは変なこと。笑われる。差別される」
「はあ」
「鈴木さん……」
エラムルギは急に優しげな声になり、骨ばったでかい手で、がっしりとおれの両肩をつかんだ。握力が強すぎて、肩が痛い。
「鈴木さんは魚の頭をとてもとても愛しているですね。だから差別を乗り越えたですねえ」
頬を染めて満面の笑みを浮かべられても困る。
「いや、サンマを尾頭付きで焼くのは、日本人にとっては当たり前のことであって」
「ダイジョーブ、ワタシは偏見はないです。理解があるですから」
「いや、だからそういうことではなくてですね」
「おお、しかも、これは!」
おれの話なんざ聞いちゃいない。でかい留学生は、ぱっとおれの肩から手を離し、卵焼きに駆け寄った。
「卵を焼くなんて! 卵は生命の源です! タブーです! ワタシの国の◎■#$▲教では……」
宗教名らしいが、興奮しきった早口のため、よく聞き取れない。
「卵を焼くは絶対ダメですっ。してはいけないことなのに、それでも我慢できないほど卵が好きだなんて……鈴木さんは」
エラムルギは感に堪えないというふうに頭を振りながら言った。
「鈴木さんは卵をとても愛しているですね!!」
なんでそうなるんだ。
「愛が深いです! ああ! 愛! タブーに負けないほど深い愛!」
「これは愛とかじゃなくて、おれたち日本人にとっては普通の日常なんだよ」
空腹のせいもあって、おれはだんだんイラついてきた。
「違うです!! その証拠にアナタの足元をごらんなさい」
「フローリングに素足で立ってるだけじゃないか」
「いいえ、いいえ!」
大男は顔をぶんぶんと横に振った。
「ハダシですよハダシ! 人間は普通家の中でも靴をはくです! ワタシも日本に来てから家の中ではハダシ。でもそれは一時的なこと。いい思い出ね。青春のほのかな思い出ね。鈴木さんは一生家の中でハダシ、それ、普通でないです! 人から笑われても平気なぐらい、ハダシに対する究極の愛と性とが……」
「うるせえ」
おれはついに怒鳴った。
「人が当たり前にやってることに『笑われる』とか『タブー』とかヘンテコな理屈押し付けやがって。おまけに『究極の愛』だと!? おれはサンマも卵焼きも家の中でハダシでいるのも好きだが、そんなの日本人なら全部フツーのことなんだよ。勝手に美化してうっとりしやがるんじゃねえ」
「フツーでないです」
エラムルギは抗弁した。
「みんなそう言います。フツーでない」
「みんなって誰だよ!?」
「みんな入って来てください!」
エラムルギがいきなり叫んだ。ドアと窓が全部開いて、よくわからない外国人の大集団がどっと流れ込んできた。みな、おれの部屋を眺め回し、目をぎらぎらと輝かせながら何事か叫んでいる。
「フスマ! 紙をドアにするなんてタブーなのに」
「箸は禁断の食器なのに」
「ミソスープは背徳的なのに」
「おかしい、おかしい、おかしい」
「普通じゃない、普通じゃない、普通じゃない」
「こんな生活に踏み切るまでにはよほどの葛藤が」
「葛藤を経て深い絆が」
「絆。勇気。ああ愛、愛……」
やつらのうち何人かは勃起していた。

おれは翌日引越し、大学もやめた。