レヅ業界ってほんとに回転速い(笑)

昨日に引き続きCurve(JULY/AUGUST 2006)の記事の話なんだけど、エレン・デジェネレスってポーシャ・デ・ロッシとつきあってるの今(p18)!? 全然知りませんでした。アン・ヘッシュと別れたのが2000年で、別れたとたん別の彼女とつきあってたはずなのに、もう別れたんかい。回転速すぎ。ポーシャ・デ・ロッシだって、たしか、前の彼女とつきあうために家まで買ってたんじゃなかったっけ。
ちなみに昨日の日記に書いたSuzanne Westenhoeferも2年前に元カノと別れて、今は別の人とつきあってるらしいです(p36)。あの、アップルの"Think different."っていう文法間違ってるキャッチコピーに向かって「"differently"だっ、このファッキン馬鹿どもー!!」"と怒り狂っていた英語教師の元カノはもういないのかと思うと、ちょっと寂しいですが。

一般的にレズビアンには「結婚」とか「子どもの養育」とかいうカップル永続強制パワーが働きにくい上、コミュニティがとても狭いから、くっついたり離れたりのサイクルがとても短いんですよね*1。それはある意味ギャグの領域に達していて、たとえばサンドラ・スコペトーネの小説『あなたの知らない私』で、レズビアンカップルがふたりの12周年パーティーの招待客の席順に頭を悩ませるシーンの台詞なんてすごく笑えます。

「考えてもごらんなさいよ。ベッツィーとアンはわたしたちとつき合っていただけじゃないわ。二人ともドリスともつき合っていたじゃないの。ドリスはドリスでジョーンと恋人同士だったし、ジョーンもフィリスと恋人同士だったことがあるわ。でもフィリスだってアンと恋人同士だったし、アンはマリオンと恋人同士だった。そのマリオンはいまジョーンとつき合っているし、ジョーンは昔ベッツィーとつき合っていたし、ベッツィーは一時フィリスとデイトしていたわ。フィリスはいまはドリスとつき合っているけど、ドリスとアンの関係は長くつづいていたわよね。アンはいまベッツィーだけど、その前に短かったけれどマリオンと関係があったわ。マリオンとは、あなた、酔っ払ったときにいっしょにベッドに行ったのよね」
都会のレズビアン・コミュニティの中で生活してると、多かれ少なかれこんなもんだと思います*2レズビアンカップルをつなぎとめるものは世間体*3でも経済力*4でもなく、好きという気持ちだけだから、嫌でも回転が速くなるのよね。そこへもってきて、そもそも絶対数が少ないから、ともすると上の長台詞みたいな状況に陥りがちなわけで。異性愛者さんたちは時々百合関係に「わたしたちの愛は永遠なの……(うっとり)」みたいな幻想*5をおっかぶせたりしてますが*6、現実の女女関係ってこんなもんですよ。Suzanne Westenhoeferが前述のCURVEの記事の中で言うとおり、"Being a lesbian, there's no reason for downtime."なんだよね。

*1:もちろん全部が全部そうなわけじゃなくて、70代80代のおばあさんになるまで仲良く添い遂げるカップルもいますけどね。

*2:ただし、現在ではネットを使ってもっと広い幅の中から次の彼女を探すことができるから、ここまで「近親相姦的世界」(p436のローラノの台詞)ではなくなってきてる気もしますけど。

*3:「離婚なんかしたら恥ずかしい」だの「親が悲しむ」だのというアレです。

*4:「別れたら生活できないから、大嫌いな夫でも我慢する」とかいうアレです。

*5:「部外者は女女関係にいっさい幻想を託すな」とまでは言いません。それは基本的に自由。そして、本物のレズビアンがそれを見て怒ったり呆れたり大笑いしたりするのもまた自由。

*6:中には「百合関係は学生時代だけで、成長すれば異性愛に『戻る』とゆー刹那的なものだからこそ美しいのだ!」と鼻息荒く主張する人もいますけど。でも、そんなにヘテロセクシズムが好きで好きでたまらないなら、なぜ最初からヘテロ物を見ないのか謎。

腹筋

  • クランチ
  • リバース・クランチ
  • ツイスティング・クランチ
  • サイド・ベンド

クランチ系はインターバル無しで次から次へと3種目×2セット。いい感じのバーンが得られました。サイド・ベンドもよく効いて満足満足。
腹筋関係は、本当はアブベンチを買ってもっと質の高いトレーニングがしたいのですが、さすがにあれを一般家庭に置くには大きすぎるかので我慢しています。アジャストベンチとエアロバイクだけで、もうじゅうぶん場所ふさぎですし。

「すべての人」なんて文言があてになるもんか

上記記事によると、都城市男女共同参画社会づくり条例から、「性的指向によって差別してはならない」という意味の部分が削除されたそうです。削除理由は、「すべての人」という表現で性的少数者も包括できるためだとか。
バカじゃないの? 
ある人がイメージする「すべての人」が本当にすべての人を包括しうると思うなんて、マジョリティーの驕りというもんですよ。たとえば、フランス人権宣言は「すべての人は生まれながらにして自由で平等である」と宣言しましたが、その「すべての人」とは白人フランス人の、しかも男性のことしか指してませんでしたよね。それから、初期のフェミニズムは「女性を解放する」といいながら、実際には白人中産階級異性愛者女性のことしか考えていませんでしたよね。それと同じで、異性愛者が安易に持ち出す*1「すべての人」とか「普通の人」とか「市井の人」(笑/参考)なんて表現は、それだけではセクシュアルマイノリティーにとってはほとんど信用できないものだと思います。
「いや、自分は異性愛者だが性的少数者のこともちゃんと考えているぞ!」という方もたくさんいらっしゃるとは思います。けれど、アナタのお父さんお母さんもそうですか? おじいさんおばあさんは? 配偶者さんやお子さんや、会社や学校の人たちは? 性的少数者に偏見がない(「自称『偏見がない』」じゃダメですよ。実際に性的少数者から「偏見がない人」と評された人のことですよ)人が、アナタの周りにどれだけいますか? 100パーセントだというのなら、あたしも認識を改めましょう。でも現実には、そうではありませんからね。
というわけで、このような条例には、きちんと目に見える形で具体的に「性的指向で差別するのはダメ」と書くことが大切だと思います。そうしたがらないこと自体が既に「すべての人(セクシュアルマイノリティーを含む、本当にすべての人)」の権利など尊重したくないと宣言しているのと同じです。まったく恥ずかしい態度ですね、都城市のこれは。

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*1:万が一にも都城市の市会議員の過半数が非ヘテロであった場合、この「異性愛者が持ち出す」という表現は謹んで取り下げます。