『キャリー』(スティーヴン・キング)再読開始

CarrieCarrie
Stephen King

Hodder 2007-05-31
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BSで昨夜シシー・スペイセク版の映画『キャリー』をやってたんで、ついつい最後まで見入ってしまいました。「今観ても面白いなー、すごいなー」と唸り、何気なく番組情報を見てびっくり。1976年の映画なんですねこれ。そんなに古かったのか!

あたしはたぶんこの映画、お子様の頃にTV放送の吹き替え版で何度か観たっきりだと思うんですよ。翌日学校で「きのうの『キャリー』観た?」「観た観た、あのラストシーン怖かった!!」とキャーキャー騒いでいたことを、今でもおぼえてます。しかしオトナになった今見直してみて、「この作品で本当に怖いのはそこじゃない」と気づき、あらためてぞっとさせられました。プロムで血を浴びたキャリーの頭にがんがんとこだまする、母親の"They're gonna laugh at you! They're gonna laugh at you!"という声。そして何よりも、スー・スネルの無力さ。そこだよ怖いのは。こうなってくるとあのラストシーンは、怖いというより「悲痛」だよねえ。

そんですっかり原作を読み返したくなり、ペーパーバックをkindle版で読み始めました。新潮文庫版にはなかったキングによる序文(1999年に書かれたもの)を読んで、「あ、やっぱり」と納得。『キャリー』の怖さの真骨頂はさ、デ・パルマによるあのオリジナル結末のショッキングさにあるわけでも、小説・映画の双方で描かれる狂気やいじめの部分にあるわけでもないと思うのね。この作品の根幹をなすのは、キングが、そしてたいていの大人が思春期に抱え込んでしまった一種の原罪のようなものの恐ろしさだと思うんです。
実際、キングによる序文を読んでからお話のクライマックスの、


(you tricked me you all tricked me)
(carrie i don't even know what happened is tommy)

のあたりを読むと、キャリーとスーそれぞれの絶望と恐怖にいっそう身が痺れる思いがしました。だって、これ、他人事じゃないから。スーにキャリーが、そしてスティーヴン・キングにティナとサンドラがいたのと同じく、誰にだって"ghost(s) of my own"がいて、みんなそれに気づかないふりをしている。この作品はそこをぐりぐりと突いてくる。だから怖いんだわ。大人になってから読み返さなかったら、たぶんわからなかっただろうなあ、こういうことは。

余談だけどこの『キャリー』、オーディオブック版はなんとシシー・スペイセクが朗読していて、そっちもとてもいいです。ペーパーバックと同時に買ったんだけど、聴きながら読むと臨場感満点。デジャルダン先生って、英語だとデスジャーダン先生なんですね、知らなかった。

さらに余談だけど、今秋クロエ・グレース・モレッツ主演のリメイク版が公開されるんですよねこの映画。「お願いだからただの『ほぉらいじめや狂信ってコワイですねー、わたしたちはそんなものと無関係でよかったですねー☆』『ねえねえCGすごいでしょおー? どっかーん! ばっきーん!』みたいな映画にしないで」と祈っているところです。