「同性愛/同性愛者への憎悪や恐怖を持っていなければ、ホモフォビックと呼ぶのは不当」:果たして本当にそう?

※議論のブレを防ぐため、最初に用語の定義をしておきます。このエントリで言う「ホモフォビア」「ホモフォビック」などの定義は、以下の通りです(出典はOxford Dictionary of English。日本語訳はみやきちによります)。


ホモフォビア
名詞 [集合名詞] 同性愛および同性愛者に対する極端で不合理な嫌悪の情
――派生語 ホモフォーブ 名詞ホモフォビック 形容詞

homophobia
noun [mass noun] an extreme and irrational aversion to homosexuality and homosexual people
――DERIVATIVES homophobe noun, homophobic adjective.

さて、ここから本題。
Huffington Postで、Candace Chellew-Hodge牧師が面白いコラムを書いておられます。彼女のフェイスブックに、以下のような「それまで数え切れないほどの回数聞いたことがある」質問が書き込まれたのだそうです。


「同性愛者の権利を支持する人たちは、誰かが同性愛に反対だからといって、どうしてすぐに『ホモフォーブ』のレッテルを貼るのですか? 私がこんなことを聞くのは、私の知っている人の多くは、聖典の解釈(または、論争されているような『解釈違い』)に基づいて同性愛に反対しているのであって、同性愛の人たちへの憎悪や恐怖感(『ホモフォビア』のレッテルの根拠となるもの)は持っていません。ですから、単純に彼らの信念に反対だからといって、こういう人々を『ホモフォビック』と呼んだり、同性愛の人たちへの憎しみや敵愾心を持っているとして糾弾したりするのは不当であるように私には思われます」
"Why is it that those who support gay rights are quick to label someone a 'homophobe' if the person is against homosexuality? The reason that I ask is that many people who I know are against homosexuality based on their understanding (or misunderstanding, as the debate goes) of scripture, rather than any animosity or hostility or fear (thus the 'homophobia' label) of those who are homosexual. So, it seems unfair to me for those people to be labeled 'homophobic' or accused of any hatred of or hostility toward those who are homosexual, if one simply disagrees with someone else's convictions."

要は、同性愛への憎悪や恐怖をいだいていない人を「ホモフォビック」(訳すと『同性愛嫌悪(の)』、『同性愛恐怖症(の)』)と呼ぶのはアンフェアではないかという質問ですね。
これって「聖典の解釈に基づいて〜」のくだりを

  • 「個人の意見に基づいて〜」
  • 「『同性愛は自然に反する』という理由で〜」

などの言い回しに置き換えれば、日本でもたまに見かける質問のように思います。

Chellew-Hodge牧師は、この質問に対し、「アンフェアだとは思わない」と答えています。全文は以下をどうぞ。

全部呼んでる時間のない方のために、あたしがいちばん膝を打った部分だけ訳しておくと、こうです。


私はそのレッテルが不当だとは思いません。というのは、そういう人たちは同性愛者や同性愛に対して「恐怖感」を持っていないと自称するかもしれませんが、彼らが同性愛はなにかしら『悪い』、または『罪深い』ことだと主張することで、ゲイやレズビアンに対する社会的フォビア(訳注:phobia, 『極端で不合理な恐怖または嫌悪*1』のこと)が作り出されるからです。
I don't find that label unfair because, while they may personally profess to have no "fear" of homosexuals or homosexuality, their insistence that homosexuality is somehow "wrong" or "sinful" contributes to the atmosphere of fear that gays and lesbians must live in. Their "convictions" create a social phobia of gays and lesbians.

つまり、ある人がホモフォビックであるかどうかはその人の内面(の自己申告)だけで決まるわけではなく、その人の主張が社会の恐怖感・嫌悪感形成につながるかどうかで決まるというわけですね。あたしはこの考え方に賛成です。自称「ホモフォビックではない」方々の意見をこの視点で読み解いてみると、見えてくるものも多いんじゃないかしら。

単語・語句など

単語・語句 意味
animosity 憎悪、敵意、悪意
scripture 聖典
conviction 信念
profess 公言[名言]する、(偽って)…と称する、装う
insistence 主張、力説、強調
harbor 心にいだく

*1:OEDの"an extreme or irrational fear of or aversion to something"という定義に準拠します。