ちょこっと実験(タネ明かし編)
「ちょこっと実験(タネ明かしは明日) - みやきち日記」の続きです。
上記エントリが未読の方は、一旦リンク先をご覧になってから以下の文章をどうぞ。
「ちょこっと実験(タネ明かしは明日) - みやきち日記」を読んでくださった方に質問
- 質問1:単語のリストの内容を、思い出せる限りたくさん挙げてください。全部思い出せなくてもかまいません。
- 質問2:次の3つの単語のうち、単語リストに入っていたのはどれか、当ててください。
- 「堅い」「味」「甘い」
さらに質問
- 上記質問1と質問2のうち、あなたにとってより答えやすかったのはどちらですか?
正解とタネ明かし
この問題は、池谷祐二さんの『進化しすぎた脳』(講談社ブルーバックス)に載っているものです。これは、大脳生理学者である池谷さんが、中高生を相手におこなった講義を収録した本です。
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質問1の答え
苦い 砂糖 クッキー 食べる おいしい 心 タルト チョコレート 味 マーマレード 甘ずっぱい ヌガー イチゴ 蜂蜜 プリン
質問2の答え
上のリストを見ればわかる通り、正解は「味」です。
「甘い」と答えてしまった人はいませんか? よほど記憶力に長けた人以外では、そう答えてしまった人が多いのではないでしょうか。池谷氏によると、これは誰の脳にも自然に起こることなんだそうです。
なぜこんなことが起こるのか
以下、『進化しすぎた脳』より引用。
いまみたいにずらっと並んでいたリストのおよその共通点を選び出して、「これは甘いものが集まっている<甘い系>だな」というように事象を一般化する。こういう心の作用を「汎化」という。脳はこの汎化というのをしばしばやるんだよね。
パシャッと写真に撮ったかのように覚えるというのはコンピュータだったらできることなんだけど、それを写し取ったところで逆に一体どういう意味があるのか、という話をしたいんだよね。そんなことをして何の役に立つのかということだ。
少なくとも脳はそういうことをしてないわけだよね。むしろ、そこにある何らかの特徴とかルールとか、ともかく<パッと見>の下に潜んでいる基礎の共通項みたいなものを自動的に選びだしてるわけ。前回の宿題の例で言えば、「甘い」というのは一種の共通項でしょ。そういうのを選びだしているわけで、写真のような覚え方は決してしてないんだよね。
なんでかわかる? 記憶というのは正確じゃダメで、あいまいであることが絶対必要。
たとえば僕は今日この緑色のチェック柄の服を着てるね。そしてこんな髪型だね。もし記憶が完璧だったら、次に僕と会ったときに、着てる服が違ったり、髪に寝癖がついていたりしたら別人になっちゃうんじゃない。
(引用者中略)
だから、人間というのは見たものそのものを覚えるんじゃなくて、そこに共通している何かを無意識に選びだそうとする。
通学路だってそうでしょ。だって、朝の風景と夕方の風景、夜の風景は違う。でも、ここを曲がれば学校にたどり着けるとわかる。ということは、景色を写真のまま頭に描いて道を選んでいるんじゃなくて、そこに何か共通する特徴を頼りにしながら通学してるんだね。
もっと端的な例では、文字がそうだ。僕が黒板に書いた字は汚い。でも、みんな読めるよね。これだって、「文字の特徴はこうだ」という共通したルールがあるから読めるんだよね。
なんとなくわかってきたかな。基本的に完璧な記憶というのは役に立たないんだ。それで、脳というのはあいまいにものを蓄えようとしているんだね。
動物相手に実験しているとわかるんだけど、下等な動物ほど記憶が正確でね、つまり融通が利かない。しかも一回覚えた記憶はなかなか消えない。「雀百まで踊り忘れず」という言葉もあって、うわぁ、すごい記憶力だな……と一瞬尊敬に近い気持ちも生まれるかもしれないけど、そういう記憶は基本的に役に立たないと思ってもらった方がいい。だって、応用が利かないんだから。
そんなわけで、
- 人が前述の質問2に「甘い」と答えてしまうのは、人間の脳の「<パッと見>の下に潜んでいる基礎の共通項みたいなものを自動的に選びだ」すという作業、つまりは「汎化」によるもの
- 「汎化」は、記憶を抽象化して応用が利くようにするためのもの
- 質問2の方が答えやすかった(ですよね?)のは、人間の脳は「汎化」によってあいまいにものを蓄えようとしているから
ということになるようです。
ここからが本題(長いよ)
性的指向の「汎化」はありやなしや
なぜ長々とこんな話を繰り広げたのかというと、セクシュアリティにおけるカテゴライゼーション批判の一部に、前々から疑問を持っていたから。
カテゴライゼーション批判の一部というのは、
- 「ジェンダーとセクシュアリティはグラデーション、だからカテゴライズするのはおかしい」
- 「レッテル貼りは、レッテルからこぼれ落ちる人に対する暴力であり、悪である」
- 「『ゲイ』とか『レズビアン』とか名乗るのは、『アイデンティティ政治(identity politics)だから』よくない*1」
みたいな物言い*2のことです。確かにどれも一面の真理をはらんでいると思うんだけど、だからと言って単純に「カテゴライズすること/何らかのカテゴリを自称することは問題である」「みんなマイノリティで、みんなちがって、みんないい」みたいなところに帰結してしまうのはどうかとあたしは思うんですよ。だって、それって人間の脳の情報処理に不可欠な「汎化」の否定じゃないですか。それでどうやって思考したりコミュニケーションを行ったりするつもりなのかと。鳥類みたいに、言語を介さない写真的記憶でも使うつもりなのかと(でも、どうやって?)。
たとえばあたしは自分の性的指向のさまざまな面から「共通項みたいなものを選び出し」て「レズビアン(ガチ)」と名乗っているわけですが、もしも、上の方に挙げた、「苦い 砂糖 クッキー 食べる (以下略)」というリストをあっさり<甘い系>と「汎化」してしまった人が、あたしのような人の<レズビアン系><ガチ系>という自己認識に駄目出しをするのであれば、その理由は一体何? ということを、ここ数日間ずっと考えています。結論はまだ出ていません。
いや、別にレヴィ・ストロースだのフーコーだのを引くまでもなく、名づけそのものが権力装置として働く、ということはわかるんですけどね。ガチレズという名乗りにしても、「性別二元主義、性愛主義、異性愛強制主義という権力の臣下だ!」という評価は可能でしょう。結局、マジョリティの線引きをそのまま使った語なわけですし。
でも、「人間がほかの動物に比べて、著しく応用力が高いのは、抽象的な思考ができるから」*3であり、また「意識や心は言語が作り上げた幽霊、つまり抽象だ」*4ということを考えると、結局人はなんらかの線引き(言語)をもってして自分を言語化・抽象化しないわけにはいかないんじゃないの? で、そこで仮に「性別二元主義、性愛主義、異性愛強制主義」に影響されない言語化が可能だったとしても、
だが強いられた名だけが歴史の汚辱をまとわりつかせているのではない。かつて自分自身の誇り高い名であったものが、その同じ姿のまま、なしくずしに侮蔑語として機能させられてしまうとしたら? どんなに輝かしい言葉、また字義通りには単に中立的であるはずの呼び名でさえ、たやすく恐怖と憎悪によって汚染され、簒奪されてしまう。
(加藤秀一. (1998). 『性現象論 差異とセクシュアリティの社会学』. 勁草書房. p. 297.)
ということを考えると、何を名乗ろうときりがないと思うのよね。
あと、「ガチレズ」と名乗った瞬間、受け手の脳内で「レズと名乗る人」「ガチと名乗る人」の「<パッと見>の下に潜んでいる基礎の共通項みたいなもの」(と受け手が無意識的に認識しているもの)が自動的に選びだされ、たとえば「揺らぐことのないモノセクシュアル」みたいな、こちらの発話にも発想にもひとつもない要素が一般化されてしまう*5、ことはあり、それをもってして「『ガチレズ名乗り』は、そのカテゴリにアイデンティファイできない人に対する権力行使である」みたいに解釈する人も中にはいるかも、とは思います。でもねー、それって「わたしはところてんが好きです」というだけの記述から自動的に<酢醤油の味>という特徴を選びだして「酸っぱいものがキライな人を外野へ追いやる関東圧力」と評価するのと何が違うの、という気もするわけ。こっちが食ってんのは黒蜜のところてんなのに、そう言われましても、みたいな。
そういうことを考えてると、だんだんわけがわかんなくなってくるんだわ。
そんなわけで、今回の暫定的な結論といたしましては「ところてんは黒蜜で食うとうまい」ということでございました。
場所によってはこの味覚は超マイノリティですが、頑張ります。
ちなみに冷やし中華はマヨネーズを使わない派で、目玉焼きは塩コショウ派です。
*1:「アイデンティティ政治にはこのような弊害があるから避けるべき」という言説ならわかるんですけど、「アイデンティティ政治はよくない。なぜならアイデンティティ政治だから」みたいなトートロジーは意味わかんないです。
*2:「自分はそんな物言いは聞いたことがない、だから何も問題はない」とおっしゃる方々へ。とてもお幸せな人生を歩んでいらっしゃるようで、よかったですね! これからもお幸せに!
*3:池谷祐二. (2007). 『進化しすぎた脳』. 講談社. p. 195.
*4:池谷祐二. (2007). 『進化しすぎた脳』. 講談社. p. 196.
*5:実際にはあたし自身は「揺らぐことのないモノセクシュアル」ではありえないし、そういう趣旨の発言もしています。cf.わたくしがレズビアンだと名乗るわけ - みやきち日記