「たまたま」論について、バイセクシュアル女子に訊いてみた

「たまたま」論というのは、先日のエントリ「リベラルなつもりで実はホモフォビックな漫画描写について」で触れた、「同性を好きになっても、好きになった相手が『たまたま』同性だっただけだから問題ない」という論法のことです。ガチでレズビアンなあたしはともかく、どちらの性別とも恋に落ちる可能性のあるバイセクシュアルな方にとっては、この言い回しはどうなのよ? と思って両性愛者女子の友人に訊いてみました。
友人「バイセクシュアルというのは幅が広くて、『自称バイ』の中には本当にさまざまな人がいるから、『バイセクシュアルは一般的にこうだ』って話をするのは無理かな。個人的には、たとえば今同性とつきあってるとして、『”たまたま”同性を好きになった』とかはあまり思わないよ。『”この人だから”好きになった』っていう方が正確かな。別に、今好きな人と同じ性別の人なら誰でも好きってわけじゃないしさー」
……だそうです。その他、2人であれこれ話し合ったことの要点をまとめると、こんな感じになりました。

  1. バイセクシュアルの人がたとえば時系列で男男女男女女……という風に両方の性別の人とつきあっていて、その流れの中で「今はたまたま相手が同性ですよ」と言うのは別に変ではないんじゃないか。
  2. でも、「”たまたま相手が同性だっただけなんだから”、同性を好きになってもOK」みたいに、同性への愛情を肯定するために「たまたま」具合を強調するのはやっぱり変。だって「たまたま」じゃない人はnot OKってことでしょ、それは。
  3. そもそも、「同性愛は、ある条件を満たしていればOKとする」って発想がおかしいよね。いつから同性愛って許認可制になったんでしょう。
  4. あと、同性の恋人からあまりにもしょっちゅう「今はたまたま同性とつきあってる」と連発されると、逃げ口上くさくて嫌。そのうち「『たまたま期間』が終わりました、異性のもとに帰りまーす」つってどっか行っちゃいそうで。それは性別逆でも同じだけど(異性の恋人に、『今はたまたま異性とつきあってる』と連発されたらやっぱり嫌、ってこと)。

そんなわけで、結論としては、「偶発性を言い訳にしようとする『たまたま』論はやっぱりおかしいんじゃない?」ということでございました。いや、もちろん別にあたしらが全レズビアンと全バイセクシュアルを代表してるわけじゃないから、これはあくまで「地球の片隅でいちレヅといちバイが話し合った結果はこうでしたよ」ってことなんですけどね。たしかこういう「たまたま論」に対するちゃんとした批判は、『レズビアンである、ということ』(掛札悠子、河出書房新社)にあったと思うんだけど、今手元になくて確認できないのが残念です。そのうちまた図書館等で調べてみたいと思います。