シートベルトぐらいつけさせろ

1. 「差別なんかないよ派」は役にたたない

昨日書いた、「都城市の条例から性的指向による差別禁止の部分が削除されちゃった」という話の続きです。せっかくなので、今日自サイトの掲示板に書いた文章も転載しておきます。


のんきな人は「昔じゃあるまいし、セクマイだっていうだけで差別なんかされないよー」と言いますが、実際あのパブリックコメントみたいに「性的少数者が教職につくことは許されない」なんて信じ込んでる人もいるわけで、そうなると現在先生をやってるセクマイは、セクがバレたとたん明日のゴハンが食べられなくなっちゃう可能性もあるんですよね。
で、そういうときに「差別なんかないよ派」が責任持ってゴハンを食べさせてくれるわけではないのですから、性的指向についての記述は残しておいてほしかったと思います。
そう、結局は、ゴハンの問題なんですよ。いざというときに勝手にゴハンを取り上げられないっていう保証が欲しいわけ。その保証をすることを嫌がる人たちが実際にいる以上、「差別なんてないよ派」の楽観論なんて何の役にも立たないと思いました。

2. これと似てるなと思ったこと

車の助手席のシートベルト着用が法律で義務付けられていなかったころ、助手席の人がシートベルトをすると「おれの運転が信じられないのか」と怒り出すドライバーというのがいましたよね。「おれは運転が上手いから事故なんてありえない、それなのにシートベルトをするとは何事だー!」みたいな。
でも、いくら自分だけが運転が上手くたって、他の車に突っ込んでこられたら事故は避けようがありません。「おれ」がどんなに立派なドライバーだとしても、他の人も全てそうであるわけはないんですからね。根拠のない楽観論で人のシートベルトを外させようとするのは、迷惑でしかありません。
セクマイ差別禁止の文言というのは、シートベルトと同じです。事故(差別)は起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。でも、万一のときのために、シートベルトはしておいた方がいい。それを横から「おれを信用しないのか」「事故などない」と騒いで外させてしまうのはやっぱり問題でしょう。くだらない楽観論で人の自衛策を取り上げないでほしいもんだと思います。

3. まとめ

  • 差別の問題はゴハンの問題
  • 「差別なんてないよ派」の楽観論は役に立たない
  • シートベルトぐらいつけさせろ