科学とうさんくさい宗教の違い、あるいは科学とエセ科学のちがい

カール・セーガンは、『人はなぜエセ科学に騙されるのか(下)』カール・セーガン新潮文庫)の中で、科学と宗教の違いについておもしろいことを言っています。
セーガンはまず、量子力学を人に説明することの大変さを説きます。量子力学に深く迫るには、まず十五年ほどかけて「簡単な算術からはじめて、ユークリッド幾何、高校で習う方程式、微積分、それから常微分方程式偏微分方程式、ベクトル演算、数理物理学の特殊関数、行列代数、群論」(p65)を学ぶ必要がある、とセーガンは言います。こうした数学のイニシエーションを受けていない人に量子力学の概念を伝えることはとても難しく、それは「うさんくさい宗教や、ニューエイジの教義、あるいはシャーマン的な信仰体系にちょっと似たところがあるのではないだろうか」(p66)と彼は書いています。「この教義はきわめて難解かつ”神秘的”なので、簡単には説明できない。しかし、十五年のあいだ修行に励むつもりがあるなら、それをやりとげた暁にはきっと入り口に立てるであろう」(p66)などと説く宗教者といったいどう違うのか、という話です。
セーガンの答えはこうです。


では、シャーマニズムや神学やニューエイジの教義と、量子力学とはいったいどこがちがうのだろうか? その答えは、たとえ理解はできなくとも、量子力学がきちんと機能することは証明できるということだ。そのためには、元素のスペクトル線の波長について、量子力学の予言と測定値とをくらべてみればいい。半導体や液体ヘリウムやマイクロプロセッサのふるまいを見てもいいだろうし、原子からどんな形の分子が構成されるかを調べてもいいだろう。(中略)ここに挙げた例のどれ一つをとっても(ほかの例でもいい)、量子力学の予言は驚くほどよく当たる。それも、きわめて高い精度で実験と一致するのだ。
とはいえシャーマンたちも、その教義はうまく機能するからこそ真実なのだという。(中略)それでは、シャーマンによる癒しについて統計を取り、プラシボ効果以上の効き目があるかを調べてみればいい。それによって、シャーマンの癒しに効き目があるという結果が出たなら、そこにはたしかに何かがあると認めよう---たとえ病気のなかに、気の持ちようで軽快する心因性のものがあったとしても。(中略)
ところで、シャーマン自身は癒しの起こる理由がわかっているのだろうか? これも一つのポイントだ。量子力学を勉強すれば、自然の摂理がわかるようになる(たとえその知識が暫定的なものでしかないにしても)。その理解を足場にして、一歩一歩、それまで一度も行われたことのない実験について、結果を定量的に予想することができるのだ。そして、予想した通りの実験結果が得られれば(とくに数値的にも精密に合っていれば)、この理解でよかったのだと納得することができる。シャーマンや祭司、ニューエイジのグルの言うことでは、こんなことはあったとしてもきわめて稀だろう。
まとめるとこうですね。

  • 量子力学の特徴
    • きわめて精度の高い予言を行うことにより、理論が機能することを証明できる。
    • 実験によって理解の正しさを確かめることができる。
  • 宗教やシャーマニズムニューエイジの教義などの特徴
    • 教義がプラシボ以上に機能するかどうかを証明できない。
    • 実験によって教義の正しさを確認できることは稀。

科学と宗教とのもうひとつのちがいについて、セーガンは次のような言葉を引用しています。


著名な科学哲学者であるモーリス・コーエンは、一九三一年の本『理性と自然』のなかで、もう一つの重要なちがいを提起している。

たしかに、科学の訓練を受けていない大多数の人たちにとっては、科学の成果を受け入れるには権威に頼るしかないという面がある。しかし科学の権威は、あらゆる可能性を受け入れ、その方法を学ぶようすべての人を招き入れ、改善への道を示してくれるような性質のものなのだ。それに対して、「信憑性に疑問をさしはさむのは邪悪な心のなせるわざだ」などと言う権威もある(たとえばニューマン枢機卿は、聖書の無謬性を疑問視する者に対してこういった)。この二種類の権威のあいだには、重大なちがいがある。合理的な科学は、必要に応じていつでも信任状を償還してくれるが、非合理的な権威主義は、信任状を償還しろなどと要求すること自体、信仰が欠けている証拠だとみなすのである。
全部まとめると、こういうことですな。
科学と宗教を比較するとき、「内容が難解かどうか」や「”修行”に長い時間がかかるかどうか」は問題ではない。科学は正確な予言を行うことができ、そして、実験結果から理論の正しさを確認することができる。また、科学はすべての人がその方法を学ぶことができる上に、改善のためならば反証を潔く受け入れる。ところがうさんくさい宗教は、(あるいは、エセ科学は)、正確な予言を行えない。理論が機能することを統計的に証明できない。予想を実験で確かめることもできない。さらに、権威に従うことを求め、反証を拒否する。
あたしは量子力学を学んだことはないけれど、エセ科学よりやっぱり科学の方が信用できるなあと思った次第です。