『バリヘテ再生産現場』について補遺

  • S:今日の一言-[雑記]書かなかった話

http://d.hatena.ne.jp/satomies/20051215/p1
昨日書いたエントリ「バリヘテ再生産現場」について、satomiesさんが上記の記事を上げてくださいました。拝読して、いろいろと安心しました。以下、引用とコメント。

「変」ということについて


一般的に言って誰かが「変」だということなんて、個人が個人を認めるという上である種、わたしにとっては知ったこっちゃない。一般的に「変」という言葉を使うのなら、「変」は「変」で、だからどうだっていうんだと思う。
「変」という言葉を使うことにも、「変だ」と思うことにも、それ自体には何の問題もないとあたしは思います。あたし自身だって、ノンケさん方に対して「まんこにちんこを突っ込んで喜ぶなんて変よ!」と偏見たらたらのことを思ったり言い放ったりしますしね。けれどそんなあたしにもノンケ友人というのはたくさんいて、あたしは奴らが大好きです。「変」だと思うことと、その人個人を好きか嫌いかということの間には、何の相関もないと思います。
問題なのは「変でキモいから『ダメ』」という風に、主観から相手の否定にまで一足飛びに突っ走ってしまうことです。そのようにしてさんざん否定され続けたLBGTその他がクイア理論を振りかざして「そうだよ、『変』だよ、それで悪いか!」と開き直ったのはごく近年のことですが、日本ではまだまだ「ホモはキモい、レズもキモい、だからダメ」という論調がまかり通り、テレビはそれを再生産し続けています。それに対して異性愛者の家庭ではどういう反応をしているのかということに興味があったので、satomiesさんのエントリ [雑記]新記事「子どもに見せちゃいけないの?」 を拝読して「ふうん」と思ったわけです。この「ふうん」はあくまでもただの「ふうん」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

どのように子どもを見守るか、または助言するかということについて


引用された部分の話題と話題の間の中で、実は書かなかった話がある。これは、このわたしの友人が同性愛者だったことを簡単に伝えたこと。今までわざわざ言わなかったのは言う必要が無かったから。この友人が亡くなってしばらくしてからわたしは妊娠した。命と別れて、命を身ごもることにわたしは助けられたと、そのとき身ごもった命である息子には話したことがある。ビー玉のくだりに関しても、すでに亡くなった存在ではあるが「おかあさんの大事な友達」として彼の中にはおさまっている。わたしは彼は同性愛者だったと簡単に告げ、息子はそのことをそのままさらっと受け入れた。「カバちゃんみたいだった?」と聞くので、「ううん、あんなになよなよっとはしてなかった。もっとオジチャンっぽい。でも時々オバチャンくさい」と答え、「ふうん」と彼はあいづちを打った。

息子の言った「おかあさん、HGは男だよ、男が好きなはずないじゃないか」というフレーズに関しては、まあ彼がこの先出会う人間、出会う友人たちという経験がいるのだろうと思ってそのままにしておいたということ。息子に全て「教える」のではなく、彼は彼で彼の社会から吸収してくることを聞き、その上で機を見て話すということがあること、要するにそんな感じかなと思う。
子どもは人生経験が少ない上に世界が狭いので、どうしても保守的に、言い換えるならば狭量になりがちだと思います。そこを大人がどう見守るか、どう助言するかというのが匙加減が難しいところなのでしょう、たぶん。前回のエントリ[雑記]新記事「子どもに見せちゃいけないの?」を拝読した時点では「まさか、強制異性愛的な価値観のまま放置プレイなんだろうか」という疑問をおぼえたのですが、そういうことではないとわかってほっとしました。
子育て中のバイセクシュアルの友人が、「どんなに偏見なく育てようとしても、子どもは幼稚園でバリバリの保守的価値観を刷り込まれて帰ってくる」と疲弊していたことを思い出します。親にまったく偏見がなくたって、「女同士がキスするなんて変だよ」とか、「ピンクは女の子の色、青は男の子の色」とか、そういうことを学んで帰ってくる、と。
友人は小さいうちからなるべく「教え」ていく方針なようですが、お子さんがある程度大きくなった時点で「みやきちさんはレズビアンで、女の人と暮らしているんだよ」と教えるつもりだと言ってくれています。お子さんは今のところ、「みやきちさんは、お母さんの大切な友達」と認識してくれているようなので、あたしとしてはその日がとても楽しみです。とりあえず、「次に『女同士はキスしない』なんて言ったらあたし(みやきち)がCurve MagazineGirlfriends Magazineのバックナンバーをダンボール一杯持ち込んで『ほーら、この人もこの人もラブラブでキスしてるじゃーん』と見せてやる」と言ってるところです。
あたしの友人のように、小さいうちからその都度教えていって、いずれ本人の経験でそれをふくらませていくのを見守るという演繹法的な教え方もあるでしょうし、satomiesさんのように本人の経験を優先させる帰納法的なやり方もあるのだと思います。今回上げていただいたエントリのおかげで、satomiesさんに偏見がないことはよくわかりましたし、身近に「おかあさんの大事な友達」を持つ息子さん(しかも、時々S嬢のPC日記に登場するあの素敵な息子さん)ならば何も困ったことにはならないであろう、と安心しました。これからも安心して両方のブログが読めます、ありがとうございます。と、日記なのにまるで手紙のような文章でこのエントリをしめくくりたいと思います。