ネットの限界

世の中には逆上がりができる人とできない人がいます。できる人の中にも、最初から何の苦労もなくできてしまった人もいれば、手に血マメを作るほどの特訓をしてできるようになった人もいます。
さて、ここで、仮にネットで「どうすれば逆上がりができるようになるのか?」というのがホットな話題になったとします。次のような議論が予想されます。
「鉄棒をつかんでひょいって回るだけじゃないか」「嘘つけ。毎日努力した者だけが笑うのだ」「そもそも逆上がりできない奴って努力が足りなくね?」「努力の方向が間違ってるんだよ。手ぬぐいかタオルを使って回る練習法をやってみたら?」「ていうかさ、最初から諦めてるから力が入んないんだよ」「うるさいうるさいうるさい。貴様らは全員強者だ。強者の理屈で俺たちを裁こうとするな」「たかが逆上がりができるぐらいで思い上がるなんて可哀想な人たち」「運動弱者の俺たちこそ人の痛みがわかる立派な人間なのだ」「何拗ねてんだ馬鹿」「馬鹿とは何だ。俺は生まれつき身体が弱くて体育では地獄のような思いを」「うわあ、すみません」
誰が馬鹿かって言ったら、全員だよねえ。主観を元に延々と語り続けるより、外に行って実際に逆上がりした方が早いと何故気づかん。所詮、身体を使わなければできないことを、ネット上の議論だけでわかろうとか伝えようとかすること自体に限界があるんだよね。よく考えてみたら、逆上がりができなきゃ死ぬってわけでもないし、そんなことでムキになって個人攻撃したりされたりするところまで行くのってアホらしいと思うんだがどうか。というわけでこの文章の結論は「ネットは広大だが、ネット上『だけ』で考えをこねくり回してるとバカになる」(自戒含む)ということです。