「Aセク」について、ちょっと思ったこと

昔、一時的にAセク(狭義の)だったことがあります。鬱病治療中で、SNRIを服用していたときのことです。病気のせいだか、副作用だか、それとも体重が減りすぎてホルモン異常になったのか、性欲というものが一切起こりませんでした。
この野獣のようなわたくしが、と思うとまるで冗談のようですが、事実です。

性的指向までが消失したわけでなく、当時もあたしはレズビアンでした。ただ、性欲だけがきれいになくなりました。好きな人に対して親和欲求はあるのに、性的な興奮が起こらないのです。からだを触られてもまったく気持ちよくなくて、くすぐったくて嫌でした。
恋人に対して申し訳ないとは思ったけれど、不快なものは不快で、我慢できませんでした。

その頃はセックスはおろかひとりHすらしなかったし、性的な空想を楽しむこともありませんでした。不都合だとは思ったけれど、不健康だという感覚はなかったように思います。
ある意味、煩悩から解脱したような、しんとした不思議な感覚でした。

今は健康を回復して、ブランク期間を一気に取り戻すようなエロエロの日々ですが、それでもときどき、あの一時的なAセク時代を思い出すときはあります。
あの頃は、自分がセックスして楽しめる時が来るとは想像もつきませんでした。
今は、自分がまったくセックスできない時期があったのがウソみたいです。Aセクだった日々を否定しようとは露ほども思いませんが。だってあれも、あたしだからね。

この経験からあたしが学んだのは、

「人は、性的欲求がまったくない状態になることもある。一生その状態の人もいるだろう。でも、それは、愛情の有無や人格とは別次元の問題だし、自分の意志でどうなるものでもない」

ということです。
こうして書いてみると、Aセクも同性愛も変わらないですね。こういうものに対して、頭ごなしに変だの治せだのと言う方がおかしいのだと思います。

セクシュアリティーについては何でもそうだけれど、違う者同士が無理して「理解」し合おうとしたり、現実をねじ曲げてどちらかの価値観に合わせる必要はないんじゃないかな。異性愛者も同性愛者も、Aセクも非Aセクも、ただニコニコと「共存」しているのがいちばんなんじゃないでしょうか。