「愛があればセックスするはず」のウソ・続き

レスをありがとうございました

昨日のエントリ「愛があればセックスするはず」のウソについて、高弟シルバさんから掲示板で秀逸なレスをいただきました。

そういえば私。学生時代、友人に「彼が“愛しているならセックスしたっていいだろ?”って言うの」と相談され、「何をーーーっ??!ふざけるなっ!!“愛しているなら性欲くらい我慢しろ!”って言えっ!!」とキレたことがあります(笑)・・・ってーか、愛だの恋だの持ち出す前に、まず、相手を欲情させられない自分を反省しろってーの(笑)
これって昨日のあたしの記事よりよっぽどこの問題の本質を突いてますね。要するにこの問題は、「『愛』の名のもとに相手にばっかり我慢を強いるのはずるい」のひとことで片付いてしまうのでした。「ダブルスタンダードはおかしい」でも可。恋愛の発明とかモノガミーとかまで持ち出す必要なかったぞ、昨日のあたしよ。
あと、「まず、相手を欲情させられない自分を反省しろ」っていうのもその通りだと思います。脅したりすかしたりする前に、まず己の性的魅力の無さを恥じるべきだよね。だいたい、鳥でも求愛のダンスぐらい踊るってのに、人間サマがパートナーを脅迫して足開かせててどうすんのよ。ちなみにこれ、「男性は性欲が強いからついそうなってしまうんだ」という言い訳は通りませんよ。だってダチョウやタンチョウヅルのオスだってそれなりに性欲は強いんだろうに、がんばって踊ってるんだからさ。

まとめ

  1. 「愛があればセックスするはず」と言ってセックスを迫るのは、自分は我慢せずに相手の側にだけ我慢を求めることであり、ずるい。
  2. そもそも相手を欲情させられない自分を反省すべき。
  3. 異性愛者の男の子がこんな情けない口説き方ばっかりしてるようじゃ、いい女は全部レヅが食っちゃうわよ!

関連記事
「愛があればセックスするはず」のウソ・女の子の側の問題

「愛があればセックスするはず」のウソ・女の子の側の問題

上記2点のエントリでは、セックスをしたがらない女性を「愛があればセックスするはず」と口説くのはおかしい、という話をしてきました。ここでは、「では、そのような口説き方をされてきた女の子の側に問題はないのか?」ということについて補足しておきます。

セックスに免罪符が必要な女の子たち

結論を先に言うと、女性の側にも問題はあると思うんですよ。女性には、「セックスは悪いことだ」とか「女性は欲情してはいけない」という価値観を内面化するあまり、セックスに免罪符を求める傾向があります。それが「愛があれば(略)」という変な口説き方を可能にしてしまっているのだと思います。

少女漫画におけるセックスの描かれ方

例を挙げましょう。少し前まで、少女漫画におけるセックスの描かれ方には、「好きな男に強引にレイプされたけど嫌じゃなかった→ハッピーエンド」というパターンがとても多く見られました。レイプがセックスの言い訳になってるんですよ。「私がセックスしたかったわけじゃないの。彼が欲情して襲い掛かってきたの」というわけです。
さすがに近年ではレイプを問題視する漫画*1も増えてきましたが、レイプに変わる口実として今なお健在なのが「愛」です。「私は欲情してないんだけど、『愛』があるからセックスしたの」というパターンですね。そうしたパターンを好む女の子たちにとっては、あくまでセックスは、「何か言い訳を必要とするもの」なわけです。

結局、女の子の側の問題でもある

女の子たちがそうやってセックスに言い訳を必要としている限り、「愛」を免罪符にしてやらせてもらおうという動きもなくならないわけで、つまりはこれは女の子の側の問題でもあると思います。言い訳が欲しい女の子と、性欲に「愛」というレッテルを貼って迫りたがる男の子(または、レズビアンバイセクシュアルの女の子)とがうまくくっついてお互いの欲求を満たしあってくれてるんならいいんですが、そうでもないのが困りもの。早いとこ「自分の欲情は自分に責任がある」「人のからだの使い方を、他者が勝手に決めることはできない」っていうのが当たり前な世の中になってほしいもんです。