渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」条例案についてずーっと考えてるんですけど。

渋谷区の例の条例案、「アパート入居や病院での面会を家族ではないとして断られるケース」(日経新聞より)を解消しようとする考えそのものは悪くないと思うんですよ。でもさあ、それに対する解決策ならば、「パートナーとしてお役所に届け出を出した1対1の同性カップルを夫婦扱いしましょう」というやり方よりもさ、

  • 「賃貸物件の貸し主は、借り主(候補)が非親族同士であることを理由に入居を拒否してはならない」
  • 医療機関は、非親族であることを理由に面会を拒否してはならない」

……みたいな条例を作った方が、よりたくさんの人が恩恵を受けられるんじゃないの? むしろ、なぜそうしないの?

もちろん、「非親族同士は家賃が払えなくなりやすい(と主張する貸し主が少なくない)」とか、「ICUでは面会者数に制限をかける必要がある」とか、そういう事情も考慮すべきではあるんだけど。でも前者についてはまず「本当にそうだという客観的データはあるのか」「あるとしたら、非親族同士の入居でも貸し主のリスクが不合理に増えない契約方法はないのか」を検討すべきだと思うし、後者については、たとえば「患者本人が指定する(または、意識を失う前にあらかじめ指定しておいた)人の面会権を保証する」みたいな制度を作るってやり方もあると思うんですよ。

平等っていうのは「『疑似ヘテロカップルとしてお役所に登録すれば』同じ扱いをしてあげましょう」っていうことじゃなくて、「誰でもジェンダー性的指向を問わず、また性愛関係の有無を問わず、住みたい人と一緒に暮らせ、会いたい人に最期に(または、最期じゃなくても病気のときに)会える」ということなんじゃないかと思うんですよね。そっちを目指した方が、幸せになれる人の数が増えるんじゃないすか。

いや、現状、同性同士で部屋借りたりするのは本当に本当に大変だし(田亀源五郎さんとほぼ同様の経験を、あたしもしたことがあります)、そうした苦労をパートナーシップ制度でまずは応急処置的に解決しようと試みるというのはアリだと思うんですよ。でも、その先に目指すものが「平等」でない限り、結局そのパートナーシップ制度すらあんまりまともな運用はされないんじゃないかという気がするんですよね。取り越し苦労ならいいんですけどね。