
- 作者: 志村貴子
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2013/08/28
- メディア: コミック
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これにて完結。いいオチでした
まさか最後にあの別作品がオーバーラップしてくるとは。びっくりだ。でも、納得だ。最後までキャラたちのジェンダーやセクシュアリティを鋳型にはめず、それでいて明るく開かれた結末にもっていくという力技に、ただただ感じ入りました。そうかー、こう来たかー。
前巻までで既に二鳥くんの背はどんどん伸びてきているし、高槻さんは「男の子になりたい女の子」ではなくなりつつあるしで、どうやってオチをつけるんだろうとハラハラしてたんですよ実は。でも、この15巻ときたら。オナニーやセックスの要素はいっそすがすがしいほどあっけらかんと出てくるし、それを受け止める周囲の反応もまたいいんですよね。とくに光っていたのはあんなちゃんで、p. 196の台詞が最高に泣かせます。p. 32での台詞と合わせてみればわかるとおり、彼女は二鳥くんをなんらかの型にはめて定義づけしたりせず、ただあるがままに愛しているだけ。それでいいじゃないか、というか、「それこそが」いいんじゃないか、というのがこの漫画全体のテーマなんじゃないかなあ。
定義づけの話をもう少しつづけると、『放浪息子』のすごいところは、二鳥くんの揺れ具合をあたたかく包み込みつつも決して「揺らいでいることこそすばらしい」みたいな一面的な賛美に走ったりしないこと。そのいい例が、この巻での高槻さんの描かれ方です。彼女が「男の子になるのをやめた」(p. 193)のことを、「ただそれだけの話」(p. 194)とさらりと説明する姿勢の小気味よさよ。上の方で書いた、人をただあるがままに愛するということがここにもちょっと見て取れますよね。高槻さんの場合、かつてはあっちに振れていた針が今はこっちに振れているという「ただそれだけのこと」なんであって、それが彼女のあるがままなわけです。
最後に、オチについて。あれを読んで、話のラストでオーバーラップしてくる同作者さんの別作品(ネタバレ防止のため、いちおう題名は伏せておきます)(下の引用文にマウスオーバーすると出てきちゃいますけど)の、このフレーズがありありと脳裏によみがえりました。
どうってことはない 勝手に決めてしまえばいい――――
ぼくらの未来は明るい
あとがき漫画によると『放浪息子』は足かけ10年8ヶ月の連載だったそうです。それは実は、このメッセージを改めて伝えるための10年8ヶ月だったのではないかとあたしは思ってます。ここまで読んできて、本当によかった。
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