『謝ったって許さない』(ソフィー・リトルフィールド[著]/嵯峨静江[訳]、早川書房)感想

謝ったって許さない (ハヤカワ・ミステリ文庫)謝ったって許さない (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ソフィー リトルフィールド 嵯峨 静江

早川書房 2010-10-22
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女性を虐げる暴力男を懲らしめるという裏稼業をもつ中年女性、ステラ・ハーデスティの活躍を描くミステリ。いや、おっもしれえわこれ! しかも、新しい!! 女性を主人公とするミステリも、ついにここまできたかとしばし感動にうちふるえました。
何がすごいって、ステラのキャラ造形です。彼女は更年期に悩まされている50歳のおばさんで、ミズーリ州の田舎町在住。本業はミシンと手芸のお店の経営。中年太りの身体は運動しても運動しても痩せず、皺取りクリームもむなしく目のまわりの皺は目尻とつながりそうになっています。……と書くと、「ミシン店の中年おばさんが主人公? じゃ、コージー・ミステリかユーモア・ミステリ?」と思う人が多いのではないでしょうか。実は、表紙を見た段階では、あたしもそういった誤解をしてました。ところが実際には、これはコージーものでもユーモアものでもなく、苛烈なクライム・アクションなんです。ステラの過去も、現在の“副業”での戦いも凄絶そのもので、女性主人公がここまでタフな目に遭わされるミステリは初めて読んだ気がします。血まみれのクライマックスの緊張感と疾走感には、本当にため息が出ました。
ミステリの女性ヒロインというと、まず連想されるのは、美しく有能なタフ・クッキーたちです。V.I. ウォーショースキーはおしゃれで空手の達人だし、キンジー・ミルホーンだって、整った顔立ちとストイックに鍛えた身体の持ち主。NY市警巡査部長キャシー・マロリーには鮮烈な美貌と天才的ハッキング能力があり、検屍官ケイ・スカーペッタも美人で、法医学者であるばかりか弁護士の資格も持っています。
この系統から「有能」という要素をはずすと、ステファニー・プラムに代表される、美人だがドジなユーモア・ミステリの主人公たちが誕生します。「美人」という要素を削って戦闘の才に特化させれば女子プロレスラーエヴァ・ワイリーのような異形のヒロインとなり、主人公の年齢を上の方にずらしたり、いかにもオンナオンナした仕事(クッキー屋さんとか)を持たせたりすれば、ジェシカおばさんやミス・マープル、ハンナ・スウェンセンのようなコージー・ミステリの主人公のできあがり。主人公の年齢を若い方にずらせば、少女探偵ナンシー・ドルー。
上記のうち、激しい銃撃戦や格闘を行うのは「美人で有能」系列と、「不美人だけど強い」系列ぐらいのものではないでしょうか。ユーモア・ミステリのヒロインたちは、そこそこ戦いに巻き込まれ、スタンガンやかなてこ片手に奮闘するぐらいのイメージ。そしてコージー・ミステリ系と少女探偵系は、危険にはさらされても結局たいした怪我はしないという印象があります。ここで肝心なのが、どの系列であろうと、ヒロインたちは顔には大怪我をしないということ。あたしの観測範囲が狭いだけかもしれませんが、殴られて腫れ上がる程度のことはあっても、ミステリのヒロインで顔に痕が残るような大怪我をした人って、見た覚えがないんです。ましてや、主人公が中年以上であれば、なおさら。ウォーショースキーやキンジー以来、戦うヒロインこそ増えてはいても、「女性の顔は大事」「おばさん・おばあさんには荒事は無理」という大原則は廃れていないんですよ、やっぱり。

ところが。この『謝ったって許さない』は、そうした陳腐な原則を軽やかに踏み越えてしまっています。まずは、ステラが暴漢に襲われ、病院で意識を取り戻したこの場面を見てください。


顔がちくちく痛んだので、頬に手を伸ばし、傷跡に触れてみた。まったく、なんてことだ。鼻梁近くから左顎の下まで続く縫い跡を指でたどった。(中略)他の部分も探ってみると、一部の毛が剃り落とされ、そこにも縫い跡があるのを見つけた。その部分の皮膚は、まるで大ぶりのガチョウの卵のように腫れていた。

頭の毛を剃られた部分は、ほぼ完全な正方形で、それが良かったのか悪かったのか、ステラには判断がつかなかった。禿げた部分を髪で隠そうとしてみたものの、カールした髪はすぐに元の位置に戻ってしまい、毛のない部分があらわになった。ジェルか何かをつけないとだめらしい。
更年期に悩む中年ヒロインが、DV男たちと戦って、顔じゅうに「若者好みの有刺鉄線のタトゥーのよう」(p. 196)な縫い跡をつけられ、頭には禿げた部分まで作られる。それでも一歩も引かずに、血まみれの戦いを続ける。こんなミステリ、見たことない。
ステラのこのたくましさの根源は、彼女自身がかつて夫のオリーから激しい暴力を受けていたことにあります。


バカなやつら――わたしが脳しんとうを軽く見ているとでも思っているのか。キッチンの床やベッドに大の字になった状態から意識を取り戻し、オリーに殴られた唇や耳の傷から流れでた血が固まっているのを見て、今回こそ病院に行かねばならないのかと考えていたわたしが。(中略)ステラはつねに、家で自ら、昔ながらの方法で傷に対処してきた。アルコール消毒と絆創膏と、それに大量のカバーガールのコンシーラーで。

だから、またもや脳しんとうを起こしたぐらいで、それほどあたふたすることはない。どうぞご心配なく。

あることをきっかけに虐待される側からやり返す側へと転身したステラは、中年太りの脂肪の下にボーフレックスで鍛えた筋肉をたくわえ、銃の扱いを練習し、依頼人を苦しめるクズ男たちに天誅を下す仕事に邁進することとなります。つまりは、これは踏みにじられた者たちの逆襲のお話なんです。だから若さとか美貌とかいう、観賞物としての「女」の価値には洟も引っかけないし、「女性キャラにひどい怪我なんてさせちゃいけない」みたいな庇護者きどりの上から目線も、おととい来やがれなわけ。ステラの強さとかっこよさに加えて、そこが背筋がぞくぞくするほど痛快でした。
なお、ステラの今回の依頼人・クリッシーが、「お脳の弱いだめんずウォーカー」から強くたくましい「戦う母ちゃん」へと変貌していくところも見ものです。クリッシーはお話の貴重なギャグ要因でありつつ、実はステラとともに作品のテーマを体現する重要キャラでもあるのだと感じました。今ざっと調べたところ、未邦訳ながらも"A Bad Day for Pretty""A Bad Day for Scandal" などの続篇が既に出ているようなので、みんな読んでみようと思っているところです。