『放浪息子(9)』(志村貴子、エンターブレイン)感想

放浪息子 9 (BEAM COMIX)放浪息子 9 (BEAM COMIX)

エンターブレイン 2009-07-25
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「カテゴリの違い」と「個の違い」、そして放浪の普遍性

女の子の服が着たい男の子と、男の子の服が着たい女の子のお話、第9巻。今回も読み手の心にどーんと波紋を残す、よい作品でございました。8巻ラストで暗示されていた「異性装にまつわる男女の非対称性」がクローズアップされるとともに二鳥くんと高槻さんの違いも明かされ始め、お話は「カテゴリの違い」と「個の違い」の両方を同時に追うかたちになっています。重い展開もあるのですが、そこで悲劇に陶酔するでも社会派ドラマチックに正義を叫ぶでもない、いつも通りに繊細な描写が心地よいです。番外編的に挿入されるユキさんの過去話も、「放浪」しているのは決して二鳥くんや高槻さんだけでないことを暗示していてとてもよかった。

男女の異性装の非対称性

8巻ラストでついにセーラー服で登校した二鳥くんが、今回はかなり辛い目に遭っています。高槻さんやちーちゃんが男子の制服で学校に行ったときには誰も笑わなかったし、問題にもならなかったのに。この性別による扱われ方の違いが、胸に刺さりまくりです。
しんどくて重くて胸痛む展開ですが、そこで悲劇に酔うでもなく、かと言って声高に正義を叫ぶでもないのが『放浪息子』のいいところ。瀬谷くんやちーちゃんなどのキャラクタをうまく使って、淡々とかつ繊細にこの難しいテーマが描き出されていると思います。

二鳥くんと高槻さんの違い

ネイティヴな性別による扱われ方の違いだけでなく、二鳥くんと高槻さんの個としての違いも少しずつ明らかにされてきているところが興味深かったです。
二鳥くんが今回、


ぼくは…女の人になりたい
かわいい服もたくさん着たい
とはっきり発言している(p. 140)のに対し、高槻さんの方は、ちょっと違う方向に揺れてるんですよね。その揺れ具合を描くのに、二鳥くんの女装登校以外にも、

  • 更級さんのブレないシスジェンダー
  • わりといろいろ見通していそうな千葉さんの発言
  • 過去に揺れていたしーちゃん(ユキさんの彼氏)の話

などがいわば一種の座標点として登場しており、それらの点からの距離で高槻さんの現在の立ち位置がおぼろげに浮かび上がってくるという仕掛けになっているところも面白かったです。個として指向するものにうっすらと違いが出てきたこの2人が今後どのように揺れ動いていくのか、気になるところです。

誰もが「放浪」している

ユキさんとしーちゃんの過去話「放浪少年少女」がしみじみとよかったです。異論もあるかもしれないけど、あたしは、あれ、おそろしく身近な話だと思うんですよ。加えて、扉絵と裏扉絵の、あの無造作な孤独感。こうした孤独を抱えて「放浪」しているのは二鳥くんや高槻さんだけでも、ましてやユキさんだけでもなく、このお話を読んでいる読者も皆そうなのではないかと思ってしまいました。

一見「放浪」を終えてこの社会に適応しているかに見えるユキさんですが、今回のお話で、実はそうでもないことが明示されていると思います。ポイントは2点。まず、ユキさんの美人ぶりに驚き、「あれが男? 元・男?」と興奮するフミヤの姿。もうひとつは、ユキさんと母親との関係。

まずフミヤの無邪気な賛辞ですが、このシークエンスの文脈は「美しくなって完全に『女』として通用しているユキさんおめでとう」みたいな脳天気なものではないと思うんですよね。そうではなくて、「そこまでしないと『仲間』に入れてもらえない社会の理不尽さ」をえぐる描写だと思うんですよ。高校時代のユキさんの、可愛いけれど社会的にはまぎれもなく「男」と規定されてしまうであろう姿を見れば、ユキさんがどれだけの出費(ちなみにあたしの知り合いのトランス女性は『あれが元・男?』状態に到達するためにトータル数千万円かかったそうです)や辛苦に耐えて今の居場所をつかんだかがわかると思います。単純に「女になれてよかったね」と片付けられる話ではないと思うんです。

もうひとつのポイントは、ユキさんと母親との関係。あんなに美しくなって、どこから見ても「女」で、恋も仕事も手中におさめていても、母親からはいまだ「仲間」に入れてもらってないわけですよユキさんは。そういうわけで、彼女の放浪は過去から現在まで、現在完了形でずっと続いているのだとあたしは思います。

で、そんなユキさんの姿をあくまで共感的に描いていくからこそ、この作品は誰にとっても他人事ではないんじゃないか、と思うんですよ。性愛のメインストリート(とされているもの)が「異性愛」「シスジェンダー」「男は男らしく、女は女らしく」などの煉瓦が敷き詰められたいわばマジョリティ・ブリック・ロードだとして、そこから一歩も離れずに歩いている人なんてそうはいないはず。気が付いたらマイナーな煉瓦が足下に混じっていたり、あるいはレアな煉瓦を踏むか踏まないかで戸惑ったりしながら、人はそれぞれ己の生と性を放浪してるんじゃないでしょうか。完璧にメインストリートど真ん中を歩いて、「アイツを仲間に入れるか/入れないか」を傲慢に策定している人たちにしても、「他との隔絶具合」について言えば、壮絶な孤独を生きていると言えると思うんです。たとえ本人たちは気づいていなくてもね。で、それも「放浪」の一種だと思うんですよねあたしは。

まとめ

今回もとても面白かったです。二鳥くんと高槻さんの違いに踏み込みつつ、彼らの放浪をべつだん特別なものとして扱わないところが、よかった。「『仲間』枠が理不尽に決められてしまっている社会の中で、人は程度の差こそあれ誰しも『放浪』している」ということを、あくまで静かに丁寧に描いていくというのがこの作品の見どころだと思います。揺らぎ続ける二鳥くんと高槻さんが、物語のラストでどのような着地点を見いだすのか、今からとても気になっています。