カムアウト済みのレズビアン、スウェーデン教会監督に選出さる


【CJC=東京】スウェーデン教会ストックホルム教区監督に5月26日、公然同性愛者のエヴァ・ブルンネ氏(55)が選出された。この11月に引退するキャロリーネ・クルーク監督の後任としての選挙で、対立候補のハンス・ウルフェブランド氏に413票対365票で選任されたもの。

レスビアンであることは、力がないと感じる人たちの側に立とう、ということを意味するとして、「力を持ち、それを力のない人たちのために使えるという幸運な状況」と同教会のインターネット・サイトに掲載した論文で述べている。

先日「スウェーデン、同性婚を合法化 - みやきち日記」というエントリで、スウェーデンの教会はLGBTの聖職者も歓迎しているらしいと書きましたが、実際にこうしてカムアウト済みのレズビアンが監督に選出されたというのは嬉しいかぎりです。レズビアンであることを、「力がないと感じる人たちの側に立」つことと関連づけているあたりも、素晴らしいと思います。

あと、クリスチャントゥデイの記事では


「洗礼を受けたものは、その性的指向を理由に教会員ではありえない、と言うことは出来ない」と述べている。

となっている部分、これだけでも感動的ですが、英語メディアだともう少し詳しい記述になってますよ。Crosswalk.comの記事では、こんな風になっています。


「ひとたび洗礼を受けたら、だれもその人のことを、同性愛者だから、バイセクシュアルだから、トランスセクシュアルだからという理由で教会員でないと言うことはできない」
Once you have been baptized, no one can say you cannot be part of the Church because you are homo-, bi-, or transsexual,"

ぐっと来ました。やっぱり、「宗教=即、セクマイの敵」というわけではないんだ、と思います。すごいなあ、スウェーデン

(……と書くと『同性愛・両性愛トランスセクシュアル以外のマイノリティは無視してもいいのか!』などと怒り出す人がいそうですが、そもそも『力がないと感じる人たちの側に立つ』ということは、そういう方も含めたあらゆるマイノリティの側に立つという意味だとあたしは解釈してます。それでも納得いかんとおっしゃる方は、どうぞSvenska kyrkan - Kunde inte hitta sidan(スウェーデン教会のウェブサイト)Svenska kyrkan - Welcome to the Church of Sweden(同英語版)に直接抗議をなさってください)