レヅサイト管理人のぐるぐる(バターになりそう)

毎日毎日レズビアンネタの(または同性愛ネタの)エントリばっかり上げていると、ときどき自分でも「なんでこんなにレヅネタばっかり書いてるのかしら」「偏り過ぎてないかしら」「ビューワー様に、24時間こんなことしか考えてない人だと思われたらどうしよう」と不安になって頭の中がぐるぐるしてきます。が、よく考えたらこの「みやきち日記」はあくまでレズビアンサイトの日記コンテンツなんだから、レズビアン関係のネタが主流になるのはむしろ当たり前なんですね。漫画サイトの日記が漫画の話ばっかりだったり、旅行サイトの日記が旅行の話題ばっかりだったりするのは全然おかしいと思わないのに、レヅサイトで同性愛関係のエントリをたくさん書くことに妙な罪悪感みたいなものがあるのはなんでなのかしら。
まず、自分の中の「同性愛=スティグマ」という刷り込みが強固だってことがあるでしょうね。こんなに毎日「ホモフォビアむかつく」とか言ってても、やっぱりあたしの中にだってどこか「同性愛ってヘンじゃね?」とか「こんな話ばっかり書くのって頭おかしくね?」っていう気持ちはあるんだよね多分。ヘテロセクシズムの刷り込み、おそるべし。
それから、「ゲイのアクティビストの方がセクシュアリティについての講演や講義を行った後で、勘違いな質問をぶつけられた」という話が往々にしてあるので、つい、「うちのサイトを読んでそういう風に勘違いする人も、やっぱりいるんだろうなー」と思ってしまって勝手にめげるってこともありますね。勘違いな質問というのは、たとえば伏見憲明氏が『ゲイという「経験」』(ポット出版)の中で書かれている(p525)このエピソードに見られるたぐいのやつです。

某大学でセクシュアリティについて講義したときも、後で受け取った学生のレポートにこんなのがありました。
「フシミさんはどうしてセックスのことばかり考えているのですか?」
なによぉー、これ! そりゃ、セクシュアリティについて話す講義だったのだから、一時間、性をめぐる様々なことについて話すだよ。だけど、なーんでそのことが、=ぼくが一日中セックスのことばかりに思いをめぐらせていることになるか。ぼくだってふだんはセックスのことばかりでなく、友達のことを心配したり、音楽や映画に感動したり、政治について憂いたり、悲惨な事件が起これば胸だって痛める、というふつうの暮らしをしている。色恋の部分ではマイノリティかもしれないけど、あとはとりたてて変わったところなんてないもんな。
あたしの記憶が確かなら、こういう無邪気な質問を受けたゲイの方は伏見氏だけじゃないはず。話者が同性愛者だというだけで、とんでもない誤解をする人というのはいるもんなのよ。だから、自分でこういうサイトを立ち上げてセクシュアリティについて書いていても、時々、「レズって一日中こういうことしか考えてないのか」と思う人は絶対いるよなーと思っちゃって、頭の中がぐるぐるしちゃうのよ。そのたびに「うるせー、レヅサイトでレヅネタいっぱい書いて何が悪い!」と思って立ち直るんだけど、しばらくするとまたぐるぐる。どうしようもなくぐるぐる。溶けてバターになってしまう前になんとかしたいです。ちなみにこの文章を書き終えた今、あたしの頭の中を占めているのは、セックスのことでも同性愛差別のことでもなく、「さっきオーブントースターで温めたクアトロファルマッジのピザがもう冷えちゃった、焼き直すのめんどくせー」です。