リベラルなつもりで実はホモフォビックな漫画描写について

うーん。こういう漫画を読んで喜ぶことができるのは、同性愛嫌悪をがっちり内面化している異性愛者だけ*1だと思うんだけどなあ。少なくともあたしには、この作品に偏見がないとか、悩んでいる子どものためになるとかは全然思えませんよ。
以下、うちのサイト(BLND)の過去記事から引用。

 2. 「わかってるつもり」な人々
理解があるつもりで偏見を垂れ流してる人もウザいですね。具体的に言うと、「たまたま好きになった人が女だっただけよ!」とか「人が人を好きになることに何の罪もない」とかいう台詞をキャラクターに言わせたり、自分の百合嗜好を肯定するために使ったりする人ね。これって一見リベラルだけど、実は「女性同士の恋愛は許されないことだ」とバッシングしてるのと同じだと思うんですよ。

「たまたま相手が女だっただけ」ということばの陰には、「自分は好き好んで女と恋に落ちたわけじゃないんだ。事故みたいなもんなんだから見逃して」という言い訳が隠れています。さらに、「自分は本来は異性間の恋愛ができるまっとうな人間なんだ(または、男も女も愛せる心の広い人間なんだ)」という言い訳のかほりもします。「女同士の恋はタブーだ」という偏見が根底になければ出てこない台詞です。

「人が人を好きになることに(略)」という言い回しも、似たようなものです。なぜ、「女の子が女の子を好きになることに何の罪もない」と言い切れないんでしょう。結局は女の子同士の恋が禁忌だと思っているから、「人間同士の恋」というフレームにすり替えて合理化しようとしてるわけでしょう。往生際が悪いよ。

上の引用文中で書いたことの繰り返しになりますが、「『たまたま』好きになった相手が同性だったんだからいいだろう」というロジックは、「たまたま」ではなく最初から同性しか恋愛対象にならないゲイやレズビアンに向かって「アンタらはダメ」と言っているのと同じです。あと、これは「みやきち日記」で過去に書いたことですが、ヘテロだろうとゲイレヅバイだろうと誰だって「人間として」相手を愛しているはずなのに、いちいち同性愛だけを「”人間として”好きになったのならおかしくない」と強調しなければならない理由は何なのよ? 「”同性として”好きになったらおかしいから、”人間として”ってところを強調して思考停止しとこう」ってことでしょ、要するに。
こういうリベラルぶっておいて実はホモフォビックな表現ってのにはうんざりだけど、実際にはこういうのこそノンケのある種の層にウケて売れやすいのかもしれませんね。やだやだ。

*1:百歩譲って、同性愛嫌悪を内面化した同性愛者/両性愛者にも喜ぶ人はいるかもしれませんが。