倒錯とか規範とか

「倒錯」という言葉を何かいいことのように思って、安易にすぐ使ってしまう人が苦手です。いったい、きみたちは、社会的規範というものをどう思っているのか。そして、きみたちの信じ込んでいる規範が、どれほどたいしたものだというのか。

ありていに言って、ださいです。

何か人とはちがう(と自分が信じる)ことをして、「私ってば倒錯してるのー、えっへん☆」と得意になっちゃう人というのは、スカート丈を校則より短くして「私ってば反抗してるのー、えっへん☆」と得意になってる中学生と変わりません。ありていに言って、ださいです。なぜ、ださいのか。それは、そういう人たちは、反逆してるはずの規範を、実はがっちがっちに信奉しているからです。

スカート丈を短くして「反抗してるぜ」と自分に酔うためには、まず、「スカート丈は○○cmであらねばならぬ」というルールを内面化する必要があります。「何cmが正しいんだっけ? 忘れた」とぼんやりしていたり、「別に何cmにしようと、アタシの中身が変わるわけじゃなし」と冷めていたりしてはだめなのです。「○○cmこそ正しい! ○○cmにするのが良い子!」というルールにたいへんな価値を置いてこそ、初めて、「ルールに逆らう自分はかっこいい!」と陶酔することができるのです。

セクシュアリティーについても同じ

セクシュアリティーに関しても、おなじです。「同性愛は倒錯! 倒錯している自分はかっこいい!」とうっとりするためには、まず、「異性愛こそ規範! 規範通り生きるのが良い子!」というルールをがっちがっちに内面化していなければなりません。反逆しているつもりが、実は、古い価値観を後生大事に抱え込んでいる状態なわけで、これは傍から見るとどうしようもなくかっこわるいですね。
倒錯と呼ばれるのを嫌う同性愛者は、単に自分が「規範から外れている」とされるのが嫌なわけじゃないのです。そういうコトバを喜んで使う人たちの、古くっさい規範を絶対のものだと思い込んでいる態度が、うっとうしくて仕方ないのです。言い換えるならば、視野の狭いコドモに勝手にカビ臭い物差しを当てられて、「このスカート丈はルール違反よ!」と大騒ぎされても、大人としては困っちゃうよ、ってことです。人類普遍の「正しいスカート丈」などありはしないように、人類普遍の「正しい性規範」なんてものもありはしないんだからね。

おわりに

そもそも倒錯とは「社会的規範に外れた行為」を指すコトバですから、「これこそ規範!」として絶対視するものがなければそうそうつかえないはずです。「かっこいい反逆者」を表すつもりで安易に「倒錯」というコトバをふりまわす人は、一度、自分がいったいどんなださい規範をもとにして「ここからはみ出すものは倒錯」と決め付けているのか見直したほうがいい。きみたちが後生大事に抱え込んで疑わないその物差しは、田舎の女子校のくだらない校則とおなじく、一歩外の世界ではまったく通用しないものだったりするのですから。