余は如何にしてあきらめの早い人となりし乎

恋愛初期にもならない「この人いいかも」って段階で、「あ、こりゃダメだ」と思ったらさっさとあきらめて次に行くことにしてます。おそろしいまでにあきらめが早いです。なんでこうなったのかと言うと、多分あたしがレズビアンで、「恋愛には、個人の資質だの努力だのでは絶対に越えられない壁がある」とよくわかっているからだと思います。

セクシュアリティーという「壁」

どんなにいい男に、いかに誠実にアプローチされようと、あたしには男性と恋愛関係に落ちることはできません。別に男嫌いなわけでも男性全般を憎んでいるわけでもなく、友人関係を越えたお付き合いは「無理」なんです。そこに理由なんかないんです。頑張って男性と付き合ってみたこともありましたが、どうしても自分の心が高揚しない。幸せじゃない。「努力したってダメなもんはダメだ」と思い知りました。だからこそ今、レズビアン(ガチ)だと名乗っているわけですけど。逆に自分がノンケ女子を口説く場合はどうか。答えは、「恋を始めることは簡単だけど、長続きさせるのは難しい」です。せいぜい3年ぐらいで限界がくる。セクシュアリティーの違いというのは、それぐらい乗り越えられないものなんです。
異性愛者の皆さんは、試しに「自分が同性から言い寄られたらどうするか」を考えてみられるとわかりやすいと思います。外見がいけてるからと言って、同性と即「付き合おう」と思いますか? 誠実で会話上手なら、あるいはファッションセンスが良ければ、キスやセックスの関係になってもいいと思いますか? 仮に付き合い始めたとして、一生その人と寄り添ってラブラブでいる自信はありますか? *1

同セク内にも「壁」はある

そんでですね。同じセクシュアリティーの人同士だって、同じように「ダメなもんはダメ」という壁はあると思うんです。結局「どういう人と一緒にいるのが幸せか」という枠組みはひとりひとり違っていて(セクシュアリティーもその枠組みのひとつに過ぎません)、しかも理屈を越えたところに存在するんだから、それを外からどうこうして変えることなんてできないはず。「変えよう」とか「変えられる」とか思うのは、傲慢ってもんですよ。
恋愛を成就させたかったら、「自分を好きになれ=俺の/私のためにオマエの価値観を変えろ」と傲慢に念じることではなく、ひれ伏すような謙虚な気持ちになって、最初から「この人は自分といて幸せなのか?」ということ*2を考えることだと思います。で、それは、相手をよく見てればわかるはずなんですよ。言語表現だけでなく、表情、身振り、身体接触、空間や時間の使い方、話すときの声の高さや大きさ、アイコンタクト等、手がかりはいくらでもある*3。「自分といて幸せなのか」どころか、「自分は相手にとって好みのタイプなのか?」ってことまで、手にとるようにわかるはずなんだ、本当にちゃんと相手のことを見てれば。

あきらめの早いわたくし

もっとも、ここまで考えるのは、冒頭に書いたようにあたしがレズビアンだからかも知れません。同性愛者の恋愛状況って、異性愛者とはまるで違いますからね。「男と女とは結ばれる運命にある! 神様がそう決めた!」みたいな幻想にバックアップされてるわけでもないし、そもそも浮ついた気持ちで迂闊に「好きだ」と口に出すだけで、「寄るな変態!」と叫ばれて職場や学校にいられなくなるとか、家族や親友にまで毛虫のように嫌われるとか、最悪の場合殺されちゃう可能性(参考1)(参考2)だってあるんですから。だから余計に慎重に空気を読んで、「イケる」と判断したときだけアプローチする癖がついたんでしょうね、少なくともあたしの場合は。
「そんなにあきらめてばっかりいるなんて、レズって可哀想」と思ってくださって結構。でもね、あたしといて幸せだと思ってくれる人しか口説かないから、自分から口説いて断られたことって一度もないのよ、あたし*4。百発百中。それをして「可哀想」と思いたければ思うがいいさ。「想ってもかなわない相手に恋々としてこそ愛!」だと思うなら思うがいいさ。が、相手と自分の両方が幸せになれない関係に「愛」があるとはどうしても思えないんですよあたしには。ビジネスモデルで言うところの「Win-Win」じゃないと嫌なんですよ。もちろん「愛」の定義なんて百人いれば百通りあるから、万人があたしと同じ考え方をする必要など微塵もないし、もしそうだったら気色悪いと思いますけど。

*1:これらの質問に全てYesと答えられた人がいたとしたら、その人はそもそも「異性愛者」ではありません。

*2:「幸せ」という表現がクサければ、「自分とこの人は相性がいいかどうか?」と言い換えても意味同じだと思います。

*3:ネットらしい表現にするなら「空気読め」ってことですね。

*4:しかし、口説いてオッケーをもらうことと、その後もハッピリーエバーアフターに付き合い続けることとはまた別物なので、あんましエバれたもんでもありません。