ドラマコンプレックス 松本清張スペシャル『指』のプチ感想

録画だけしてまだ全部は見てないので、まずはプチ感想を。いや、さっきレズバーのところだけサーチして見ていて、変なレズバーの女主人が「女は指で愛し合うのよ」とか何とか思わせぶりに言うシーンに萎えまくったので、これは書いとかなきゃと思って。
そりゃ、指でするのはあたりまえよ。あたしはよく言うんだけど「指はショパンでもモーツァルトでも弾きこなすけど、ちんこはただの棒!!」だもん。だけどさー、全てのレズがひたすら指「だけ」使ってセックスしてて、そこがレズビアンのエロいところなのウフフ、みたいなニュアンスで語られると、「お前はどこのシロウトだ!」とハリセンで後頭部をどつきたくなるわよ。だって、事実と違うもん、それ。
困ったことにレズビアンの中にもちんこフォビアというか挿入フォビアの持ち主がいて、「女同士だとたとえ指でも膣への挿入はほとんどありません」みたいなことを言い切ったりしてるんだよね(URL忘れたけど、どっかのブログで見かけました)。えーと、それも事実と違うから。
ためしに今手元にあるANISE(アニース)1997年夏号(テラ出版)の「読者246人によるアンケート」を見てみたら、

  • インサート(挿入)(p20)
    • 「いつもする」129人
    • 「たまにする」27人
  • 器具を使う(p22)
    • 「いつもする」13人
    • 「たまにする」12人

となってるんですけど。つまり10パーセントぐらいの人が器具を使うし、半数以上が挿入(指または器具の)も楽しんでるんですね。レズドラマ(百合ドラマ、つーか、フィクショナルな要素の濃い作品ならまた話は別。詳しくは別エントリで書きます)を描きたいノンケさんはもう少し勉強した方がいいし、社会経験のたりないレズは「みんな」の名を借りずに「『アタシは』挿入が嫌い」ときちんと己の嗜好を語る勇気を持った方がいいと思うわ。

なぜ百合マンガ/レズマンガにおいて偽ちんこは邪道なのか

下のエントリでは「レズビアンは指以外も使う」と書きましたけど、フィクションとしての百合作品/レズ作品を見るときには、あたしは「偽ちんこは邪道だっつってるんでしょうがあー!!!」という雪(『ULTRA SWORD』林家志弦コアマガジン/感想はこちら)の台詞にほぼ同意です。ちょうど今日自サイトの掲示板に書いた文章が説明に使えそうなので、以下引用してみます。


♀♀物の中で、現実世界の重力を振り切ってぽーんと跳躍してるものが「百合」でありファンタジー(参考:『ファンタジーとしての同性愛』)なんじゃないかなと思うんですよ。で、あたしは地べたに住んでるガチな人であるけれども、ファンタジーはファンタジーとして十分楽しませてもらっている、という感じですね。
それはちょうど、別に日本人でも映画『キル・ビル』や『ブラックレイン』を楽しめる、というのと似ています。そりゃあ『七人の侍』とか見た方が「日本らしい」と感じるのは事実でも、フィクションとして楽しむ分には何でもありだと思うんですね。
「何でもあり」とは言え、跳躍力が足りなくてフィクションになりきれていない作品はやっぱり問題なわけです。創り手がほとんど異性愛者だということもあるのでしょうが、フィクショナルな世界における偽ちんこは、ただの「異性間セックスの模倣」っぽい色あいが強い気がします。具体的に言うと、「ちんこに頼って愛も愛撫も足りないつまんなそうな男女セックス」の模倣になっちゃってることが多いんです。こうなると、現実世界の重力を振り切るどころか、ださいヘテヘテ帝国の土の中に頭までずっぽり埋まってる感じで、フィクションとして楽しむ余地がまるでないんですよ。だから、百合マンガ/レズマンガに偽ちんこが登場するのは萎え要素なんですね、少なくともあたしにとっては。
ただし、愛や愛撫が足りてるセックス描写なら、偽ちんこもありだと思います。サフィズムのあの人とかね。あと、あの蜘蛛の人とかね。つまり、雪さんの言うところの「道具にばかり頼って心が全くこもってない」近頃の攻っ娘、というパターンに成り下がっていなければ、そういう描写もありなんじゃないかと。個人的な嗜好だと言われればそれまでなんですけど。