同性愛嫌悪や同性愛者へのヘイトクライムの実例が否認・反発されてしまうのは、「正常化の偏見」「認知的不協和」のせいなんじゃないだろうか

1. 同性愛嫌悪やヘイトクライムへの否認・反発

この日記に「LGBTニュース」というカテゴリを作って以来実感しているのが、どれだけ「このようなホモフォビックな事件がありました」「こんなヘイトクライムがありました」という実例を挙げても、

  • 「たいしたことない」
  • 「日本は大丈夫」
  • 「大げさに騒ぎすぎ」
  • 「そんなのは特殊な例、一般化するな」

という反応が(時には怒りさえともなって)返ってくる、ということです。何故なんだろう、と常々考えていたのですが、これは、防災研究家の片田敏孝群馬大学教授の言われる「正常化の偏見」「認知的不協和」という概念で説明がつくような気がします。

2. 「正常化の偏見」とは

以下、片田敏孝教授の講演内容がまとめられている「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITproより引用。


「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価してしまう人の特性」を「正常化の偏見(normalcy bias)」と呼ぶそうだ。

講演では具体例の一つとして,交通事故と宝くじのそれぞれに対して抱く,期待(不安)の違いが挙げられた。交通事故に遭って死亡する確率は,宝くじの1等に当選するより高い。にもかかわらず,会社からの帰りに車にはねられると考えている人はほとんどいない。一方で,宝くじには当選を期待して,多くの人々が人気の売り場に行列を作る。

そのほか,建物内で非常ベルが鳴っても,すぐに逃げ出そうとする人がいないことも,正常化の偏見の表れだという。ほとんどの人は,非常ベルに加えて,非常事態を裏付ける他の情報がないと,本当の非常事態だとは判断しない。逆に,非常ベルだけで逃げ出そうものなら,「慌て者」と笑われてしまうおそれさえあるとする。

また,「もし大地震が起きたら,どのように対応するか」と尋ねると,「机の下に避難する」「建物の外に避難する」「瓦礫の下敷きになっている人を助ける」---といった答えばかりで,自分が被害に遭うことを想定した答えは,一切ないという。

3. 「正常化の偏見」の具体例

引き続き、「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITproより引用。


片田氏は,一刻を争う災害時の避難に関しても,正常化の偏見が見られることを,以前実施した調査研究を引き合いに解説してくれた。2003年,ある沿岸地域で震度5強の大きな地震が観測された。同地域は,過去に何回か津波によって犠牲者を出している,いわゆる「津波常襲地域」である。実際には地震による津波は発生しなかったものの,過去の経験に基づけば,住民は大きな地震から津波の襲来を想起し,避難することが予想される地域である。

そこで,片田氏が2003年の地震発生時におけるその地域の避難状況を調べてみたところ,興味深い結果が得られた。3000名を超える住民への調査では,確かに87.1%の住民が,地震発生時に津波の襲来を思い浮かべたという。そして,全体の25.4%が「津波が来ると思った」,38.4%が「来る可能性は高いと思った」と回答した。回答者の過半数は,津波の襲来を予想していたのだ。津波常襲地域だけのことはある。

だが,津波を警戒して実際に避難したと答えた住民は,わずか1.7%に過ぎなかったという。1.7%である。ほとんど避難しなかったといってもよいだろう。その行動の裏付けとなったのは,正常化の偏見であるという。「津波によって身に危険が及ぶと思ったかどうか」の問いに,「危険は及ばないと思った」との回答が24.1%,「危険が及ぶ可能性は低いと思った」が25.5%で,およそ半数は「自分は大丈夫」と思ったようだ。

ちなみに,「危険が及ぶと思った」と答えたのは11.3%,「可能性が高いと思った」としたのは17.9%,「どちらともいえない」が21.3%だった。

4. 「認知的不協和」とは

以下、認知的不協和とは - はてなキーワードより引用。


心理学の用語。 1975年、アメリカの社会心理学者フェスティンガーが提唱。

人は何らかの物事に遭遇した場合(認知)、それが自分が持っている「認知」と相容れない場合(不協和)、 その「不協和」を解消しようとすること。(不協和の逓減)
不協和の逓減には以下の3つがある。

  1. 「認知」を変える(現実を変えたり、考えを変える)
  2. 「認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する)
  3. 新しい「認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ)

1や2のように、「変化」をさせたり「否定」をすることはコストが高いため、実際には、3が選択されることが多い。

5. 「正常化の偏見」と「認知的不協和」

再び「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITproより引用。


「逃げなければいけないことは分かっているが,正常化の偏見によって逃げていない自分がいる。このため『認知的不協和』が発生して,逃げていない自分を正当化する理由を探す。だが,そんな理由は簡単に探せる。『前に避難勧告が出たときも,大丈夫だった』『隣の人も逃げていない』『テレビでも何も言っていない』などだ」(片田氏)。

6. なぜこんなことが起こるのか

「正常化の偏見」自体が、人間の心を守るための反応だからです。片田教授はこのように述べておられます。


私は「正常化の偏見」が悪いことだとは思っていません。人間は,リスク情報をまっとうには理解できません。それは,人間の心がうまくできているからです。人間,考えれば心配事だらけです。極論すれば,町を歩いていて隕石に当たって死ぬことだってあるわけです。

つまり,あれもこれも心配していたら生きていけないわけです。だから,良い情報はポジティブに評価し,悪い情報を無視する。そういった情報処理に関する非対称性,つまり「正常化の偏見」は,とても人間らしいものだと思っていますし,人間とはそういうものだと認めるべきだと思っています。

7. これらを同性愛嫌悪やヘイトクライムへの否認・反発に当てはめて考えると

こういう流れになるのではないかと思います。

  1. ホモフォビックな事件や、同性愛者へのヘイトクライムの実例を知る
  2. 不安発生
    • 不安例:「身近にそんな事件が起こったら怖い」「自分が差別者になるのが/差別者として糾弾されるのが怖い」「自分だけが騒いで笑われたら怖い」など
  3. 「正常化の偏見」発動
    • 「日本は大丈夫」「自分は大丈夫」「何も問題ない」など
  4. 「認知的不協和」発動
    • 差別や暴力は良くないと思うが、「正常化の偏見」によってそれを放置している自分がいる
      • 4-a. 「認知」を変える(現実を変えたり、考えを変える)→例:「正常化の偏見」を捨て、意見や行動を変えるなど
      • 4-b. 「認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する)→例:「自分の周りにそんな例はないからたいしたことではない」「テレビでも何も言っていないから、重要ではない」など
      • 4-c. 新しい「認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ)→例:「ゲイは『自然に反する』から嫌われて当然なのだ(屁理屈)」「同性愛者以外だって暴力を受けている(問題のすりかえ)」など

どれだけホモフォビアヘイトクライムの実例をあげても頑として認めない、あるいは反発する人というのは上記4-bや4-cのステージにいるのだと考えれば、筋が通るような気がします。

8. では、どうすればいいのか?

前述の片田敏孝教授は、「脅かすことより理解してもらうことが大切」と述べておられます。


「脅かすだけでは効果は薄い。その場では『怖い』と思っても,長続きはしない。重要なことは,なぜ危ないのか,どのように回避すればよいのかを理解してもらうこと」。

脅かす一方では,相手は思考停止に陥って,結局,正常化の偏見に“すがって”しまう。相手に危険性と対策をきちんと理解してもらうことが重要であるという。もちろん,一朝一夕にできることではない。片田氏は津波常襲地域に足しげく通い,住民を対象に説明会を実施している。説明会では,コンピュータ・シミュレーションによるデモを交えて,「津波によってどのような被害が発生するのか」「いつの時点で避難すれば助かるのか」などを繰り返し解説している。その甲斐あって,住民の理解は確実に深まっているという。

同性愛嫌悪や同性愛者へのヘイトクライムについても、同じことが言えそうです。つまり、否認や反発のステージにいる人を説得したかったら、強烈な事例を挙げて「これが事実です」と示しても、相手は思考停止に陥るだけで効果なしってことですね。それよりも、「なぜ危ないのか,どのように回避すればよいのかを理解してもらうこと」の方が重要なわけで。

あたしのヘタレな文章でどれだけ実話を紹介しても問題を無視・過小視する反応が絶えないのは、こういうわけだったんですね。これはちょっと反省しなければ。

9. まとめ

  1. ホモフォビックな事件や同性愛者へのヘイトクライムを紹介しても否認・反発するだけで終わってしまう人が少なくないのは、「正常化の偏見」「認知的不協和」が働いているから
  2. もしも否認・反発派の認識を変えたかったら、脅すことよりも「なぜ危ないのか,どのように回避すればよいのかを理解してもらうこと」を重視した方が効果的

10. ただし

だからと言って、同性愛嫌悪やヘイトクライムに言及する文章が、一から百まで「否認・反発派の認識を変えること」を目指す必要はないと思います。
「こんな事件があった! ムカツクー!」という叫びだって当然あっていいし、書いていいはず。
大事なのはまず、「誰に向けた文章なのか」を意識することなんじゃないですかね。で、ターゲット層によっては、より戦略的な書き方をした方が狙い通りの効果が上げやすいってことなんだと思います。