「二丁目に捨てる物無し」

「二丁目に捨てる物無し」*1という言葉があるぐらい、ゲイの方の好みはいろいろに分かれていて、デブもガリもマッチョもリーマンもジャニ系も年寄りも熊もイモもそれぞれ需要がある、らしい。らしいというのは所詮あたしはレズビアンであって当事者ではないからですが。で、レズビアンの方はどうかと言うと、ゲイほど多様でないにしても、やはりノンケよりはストライクゾーンの幅が広いと思います。「こういう人が圧倒的にレヅにもてる」っていう決定的なステレオタイプは存在しないわ、たぶん。
普段そういう世界に身をおいていると、巷にあふれるノンケ雑誌*2の煽り文句というのが心底気持ち悪いです。「モテ服」「モテ髪」「愛されメイク」「男性/女性は、女性/男性のここを見ている!」「男の子/女の子が好きなデートスタイル」等々、「異性はこういうタイプが好きなのだ! こういう風にならねば好かれない!」っていう圧力が物凄いでしょ。要するにそうやって人の不安を煽って商品を売りつけようという策略なんだと思うけど、ほぼ洗脳に近いよねあれは。
そんで、ノンケの好みの幅がゲイやレヅのそれに比べて極端に狭いのは、こうした商業ベースの圧力のせいもあるんじゃないかと思うわけです。商品を買わせるために植えつけられた、「太ってるとダメ」だの「毛深いとダメ」だの「こういう服を着なくちゃダメ」だのという価値観を内面化しまくってしまうと、実にステレオティピカルな(そして、企業側が商品を売りつけるために都合の良い)「理想の女性/男性像」を良しとする人間の一丁あがりというわけ。
もちろんそういう商業主義の洗脳にはまらずに済んでいる聡明なヘテロさんというのも存在するんですけど、あの大量の「男は/女はこうしないともてないぞおお、だからこれを買ええええ」っていう洗脳攻撃に耐え切るのはとても大変なことだと思います。正直、自分がヘテロに生まれていたら洗脳されなかったかどうか自信がありません。セクマイに生まれてよかったなあと思うのはこんな時ですね。

まとめ

  • 商業主義の煽り文句に騙されなければ、好みの幅ってもっと広がると思う。
  • たまたまレヅに生まれて僥倖だったことであるよ。(なんか、『毒電波に苦しめられる人々の横で、たまたま電波遮断ヘルメット*3をかぶってた』みたいな感じとゆーか)

*1:「捨てるゴミ無し」という言い回しもあるみたいですね。

*2:ここではいわゆる女性誌とかファッション誌とかのことです。

*3:イメージとしては、マグニートーがかぶってるアレみたいなマヌケなデザインのやつでひとつよろしく。