ファンタジーとしての同性愛
男女ものは「リアルすぎる」?
今朝、腐女子を取材したTV番組を見ていたら、BL好きの女性が「男女ものはリアルすぎて嫌。ファンタジーとしてボーイズラブを読んでいる」というようなことを語っていて、なるほどこの手のジャンルの作品は「ファンタジー」という概念で説明できるなと思いました。
女性を対象とした「男性同士の恋愛物」が登場したのは1970年代〜1980年代初頭だと思います。『風と木の詩』の連載が始まったのが1976年、ガンダムのアニパロが出てきたのが1979年頃でしょ、たしか。で、「アラン」とか「ジュネ」とかが台頭したのが80年代前半ぐらい。思うんだけどそれはひょっとして、70年代まで隆盛を誇った「オトメチック」な少女マンガの衰退と連動してるんじゃないでしょうか。つまり、それまでは男女物の少女マンガにファンタジックな物を求めていた層が欲求を満たせなくなって、新たなるファンタジーとして「男同士のラブストーリー」に流れたんじゃないのか?
で、それは、最近の百合ブームも同じなのかも。リアルな男女物の氾濫にうんざりした層が、ファンタジックな世界を求めて「百合」に流れたんじゃないのかしら。一頃は「セックス描写があったら百合じゃない!!」なんていうヒステリックな意見も聞かれましたが(今でも一部にはあるかも)、これは「せっかくリアルな世界から離れてファンタジーに浸ろうとしているのに邪魔するな」という魂の叫びと解釈できますね。
「ファンタジー」のジャンルとして盛り上がるのはOK
遠くにあるものには手前勝手な幻想を託しやすいです。一昔前ならばそれが「ドジな私を遠くで見つめていてくれる王子様」だったり「なんかよくわからんけど遠い異国の物語」だったりしたのが、現代では「同性同士の美しい恋愛」となったんじゃないかなあ。つまり、同性愛という枠組みが、異性愛者の幻想の受け皿として消費されているわけです。で、それはそれで別に悪いことじゃない。あたし自身だって、百合マンガだの百合ゲーだのを楽しんでますし、レビュー書いたりもしてますしね。そういった記事のおかげで百合好き/レズ好きなナイスなビューワー様がたとの交流もできたりして、とてもありがたいことだと思っています。
でも、現実を侵食されると悲しい……
けれど、自サイトを一歩出ると、「ファンタジー」と「現実」の境界線が無視されていることが多々あって、これはちょっと当事者としてはつらいわけです。昨日のエントリを上げた後、「どうしてレズビアンと百合がごっちゃにされると嫌なのか」を延々と考えていたのですが、要するに「非現実的なもの」と一緒にされるのが悲しいんです。女の子相手に擬似恋愛を楽しんだあげく「やっぱり女同士なんて幻想。『現実』に戻ります」とか抜かしくさって男と結婚していく「なんちゃってレズ」に出くわしたかのような悲しさがあるんですね。
そんなわけで、今朝、冒頭にあげた腐女子さんの発言を見ながら「ここでこうやってトースト食ってるあたしは現実に存在するわよね? ヘテロ向けファンタジーの、妄想の産物じゃないわよね?」となんとなく思ったりするあたしでございました。顔とかぺたぺた触ってみたりして。よし、存在する存在する。
なぜかニンテンドーDSの電源が落ちる件について
去年の12月にDSを手に入れて以来、「おいでよ どうぶつの森」プレイ中に電源が落ちること既に3回。うち1回は電源OFF中に秘めやかにバッテリーが上がっていたのに気づかずに電源ON→即落ち、といういわば不可抗力だったのですが、あと2回がなんで落ちたんだか皆目わかりません。「知らないうちにPOWERボタンに触っちゃったのかしら」とも思ったんですが、どう考えてもそんなところに触る持ち方はしてませんし、そもそもPOWERボタンを一瞬間違って押したぐらいじゃ電源は切れないようになってますし。
既にリセットさんに怒られまくって反省文とか書かされたりしてるんですが、これって一体。ちなみにうちの彼女のDSも同じ症状が出てるらしいです。二人してよっぽど変な使い方をしてるんでしょうか。それとも体から何か変な電磁波でも出てるのかしら?