『境界のないセカイ』の何が問題なのかわからない件。および、そこから考えたこといろいろ(※追記あり)

(2015年3月19年追記:脚注を1箇所追加しました。赤字のところです。)

上記の件について。

『境界のないセカイ』は未読ですが、作者さんがブログに掲載されたページ単体についての感想は、「この描写の何が問題なのかわからない」でした。該当ページはむしろ、性役割の押し付けや異性愛主義*1に疑問を投げかけるものであるように読み取れますし、いちレズビアンとしてはかえって好感をおぼえるぐらいです。マンガボックスさんが一体どこの「性的マイノリティの個人・団体」がどのようなクレームをつけると想定しておいでなのか、見当もつきません。

もっと端的に言うと、上記ページを読んで最初に思ったのは、はてなブックマークのこちらのご意見とまったく同じことでした。

「境界のないセカイ」マンガボックス連載終了のお知らせ: 幾屋大黒堂Web支店 @SakuraBlog

この基準なら百合漫画の名作『ささめきこと』もアウトになるな。アホらしいにもほどが。

2015/03/15 23:24

そう、『ささめきこと』7巻の「主人公、中傷とホモフォビアに半笑いで迎合」展開なんて、(前後関係を無視してそこだけ単体で見れば)もっとキッツいですからね。『境界のないセカイ』と同じ講談社系列の作品で言うなら、たとえば『オクターヴ』4巻p. 55の鴨ちゃんの台詞だって、(前後関係を無視してそこだけ単体で見れば)このページよりずっと酷いでしょう。けれど、どちらの漫画もクレームを理由に連載を打ち切られたりしていません。だいたい両作品とも、読みさえすれば作品全体のメッセージは決して差別的なものではないとわかるつくりになっていますしね。

架空ではなく現実の性的マイノリティから抗議があったとわかっている例としては、中村珍さんの『羣青』はどうでしょう。2008年頃、キャラクタが設定上「レズさん」と呼ばれていることを問題視したレズビアンの読者が、「"レズ"は蔑称」として抗議(ないしは罵倒)をしたという事実があるはずです。詳しくは以下を。

この作品は当時講談社の「モーニング2」で連載されていましたが、同社はこうした抗議を理由に「レズ」表記を改変させたり連載を中止したりしたりはしていません。『羣青』はのちに(2010年)小学館の「月間IKKI」に移籍していますが、原因はこの「レズさん」表記問題ではなく、作者さんと担当編集者さんとのトラブルだったはず。

何が言いたいのかというと、以下の通りです。

  • 作品全体のメッセージが差別的なものでないなら、堂々としていればいい
  • どんな作品にもクレームを入れる人はいるだろうが、出版社がそのクレームに自動的に屈しなければならない理由などない
  • むしろ「(架空の)性的マイノリティ」なるものを「クレームを入れられたら最後、作品生命が終わる恐怖の存在」に仕立て上げることの方がよっぽど問題
  • この分だと「天狗の仕業じゃ!」の代わりになんでもかんでも「『性的マイノリティ』のせい」にされそうですごく嫌

なお、「そうは言われてもクレーム怖い/面倒臭い」、「何が『差別的』と受け取られるかわからない」などとお思いの方には、森奈津子さんのこちらのご意見が参考になるのでは。

たとえばFacebookが最近、プロフィールのジェンダー欄のオプションを増やすに当たってLGBT団体の協力をあおいだと説明していますよね。映画『バウンド』だって、レズビアンセックスの場面は全部スージー・ブライトがコンサルタントを務めてる。ああいうのをどんどんやればいいんじゃないですか。

わからないなら訊けばいいのです*2。訊きもしないで、「(架空の)性的マイノリティの個人・団体」からの(まだ来てもいない)クレームを根拠に連載を終了させるのは、適当な想像ででっちあげた悪役としての「性的マイノリティ」幻像を流布させることにもつながりかねず、作品の中身どうこうよりその方がよっぽど問題かと。実際、既にこのニュースを「LGBT(または“ホモ”や“レズ”)からの圧力で連載が中止された」と曲解して積極的に憎悪を扇動する向きもあるようですし、これじゃそのうち郵便ポストが赤いのも犬の鼻が湿ってるのも全部LGBTのせいにされそうで、正直今かなりうんざりしているところ。

ところで、こないだTVでやってた『ノーマル・ハート』を見たんですよ。1980年代前半のニューヨークを舞台とするTV映画なんですが、見ていて「まるで今の日本みたいだ」と思いました。エイズがゲイだけの病気で、キス程度で感染すると思われていたり*3、40代ぐらいのおじさんが「大学時代はゲイなんて自分だけだと思っていた」と言っていたり、メディアが平気で同性愛者を「ホモ」と呼んでいたり、そもそも同性愛者についての報道がやたらと歪曲化・矮小化されていたりするんですもん。つまり、日本は約30年遅れてるわけ。

その米国で、メディアにおけるLGBTの扱い*4をモニタリングする非政府組織「GLAAD」が立ち上げられたのは1985年。エイズ禍の中、ヒステリーに陥ったメディアが「異性愛者に病気を広める邪悪な同性愛者」像を喧伝することに抗議するために設立されたこの団体が、結局は医学的・合理的なHIV情報の充実に貢献することになります。日本もそろそろ、適切なモニタリング*5や、いろんな立場の人の声が聞けるような話し合いの場が必要な時期に来てるんじゃないですかね。フィクションのみならず現実世界においても、「多様な生き方に寛容な考え(※幾屋大黒堂Web支店より引用)」なるものは誤解や衝突とその解消を経たのちにしか実現しないのであって、今の日本はそのためのいわば膿出しの時期にさしかかっているんじゃないかとあたしは思ってます。

*1:異性愛主義とは、「同性愛の排除を半ば奨励しながら、異性愛だけを推進することをはっきりと主張するような、社会を見る原理でありかつ社会を分割する原理」のこと。(出典:『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る辞典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)p. 87

*2:ここで言う「わからないから訊く」というのは、「対等な立場から協力を仰ぐ」という意味であり、こちらで批判したような傲慢な態度で「そちらが下手に出て説明すべきなのだから、マジョリティの機嫌を損ねない言い方で優しく懇切丁寧に説明しなければ聞いてやらん」とふんぞり返れという意味ではありませんよ。念のため。

*3:実際、2015年3月10日の渋谷の反同性愛デモで、このような主張のビラが撒かれてましたよね。2014年のこちらの件から見ても、知識が80年代からアップデートされていない人は少なくなさそう。

*4:厳密に言うと設立当初はLGBT全体ではなく(第一当時は『LGBT』という語も概念も存在しませんでした)、メディアにおける「同性愛者への」中傷と戦う団体でした。現在は"LGBT media advocacy organization"と名乗っています。

*5:できればモニタリングするだけじゃなくて、「この作品/報道etc.がすばらしかった!」と顕彰するGLAADメディア賞みたいなのも作れるといいよねー。