月亭可朝を持ち出して京都新聞のおっぱいツイートを擁護するアホらしさについて
京都新聞の公式Twitterアカウントが女性の乳房を女性当人のものではなく「彼氏のもの」「お父さんのもの」などとするツイートを発表し、批判を浴びています。
一連の流れについては、以下のエントリがわかりやすかったです。
具体的にどんなツイートだったのかはこちらをどうぞ。(※現在、これらの元ツイートは削除されています)
うわぁ………。 pic.twitter.com/QWoMTfcjQs
— ニハニャン (@2_to_8) 2015, 1月 21
女性の身体について、あたかも当の女性本人以外に所有権があるかのようなこの物言い。京都新聞さん(のTwitterアカウントの中の人)てば、まるで奴隷市場で女奴隷のおっぱいを品定めしながら歩き回る白人農園主様のようですね! 21世紀にもなって、これかよ!
で、本題はここから。ざっと検索してみたところ、これらのツイートに対する批判を「月亭可朝も知らんのか」「月亭可朝のせいだ」などと言って茶化したり無効化したりしようとしている人が少なくないようなので、ちょっと釘を刺しておこうかなーと。
この件で月亭可朝を持ち出す人は、おそらく彼の1969年発表のコミックソング「嘆きのボイン」を念頭に置いているのでしょう。
しかし可朝はこの歌であくまで、
ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで お父ちゃんのもんと違うのんやで
と歌っているのであって、おっぱいの所有権が当の女性以外にあるだなんて一言も言ってません。むしろその逆のことを歌ってる。「赤ちゃんが吸うために」という部分は、現代の感覚から見ればあまりに目的論的すぎるとも言えますが、やはり所有権の話ではまったくない。つまり、「赤ちゃんのもの」とも言ってないんです可朝は。
したがって、京都新聞公式Twitterの発言を月亭可朝のせいにするのはお門違い。「月亭可朝を知っていれば笑えるはず」などというのもヘン。「京都新聞の感覚は、46年前のコミックソングよりなお古くて差別的なものであった」と解釈するのが妥当な1件でしょ、どう見ても。