「でも世界が私を変えられないことは確かめられると思います」

stubborn
stubborn / The hills are alive*

先日亡くなった米フォーク歌手ピート・シーガーさんを偲ぶコラムで、中日新聞(2014年1月30日)がおもしろいことを書いています。代表曲『花はどこへ行った』をつくった当時、米国で吹き荒れた「赤狩り」の標的にされていたシーガーさんは、自伝でこのような話を紹介しているのだそうです。

五十年代、ニューヨークのど真ん中で一人の若者が平和を求めるプラカードを持ち立っていた。通行人がからかう。「夜中にそのプラカードを持ってここに立ってれば、世界を変えられると思ってるのかい?」。「そうは思いません」と若者は答えた。「でも世界が私を変えられないことは確かめられると思います」

これだわ、と思いました。たぶん自分が2000年から足かけ15年もサイトを運営してるのも、同じ理由だわ。

ここで「自分自身が変わらなければ成長もないではないか」とお思いになった方には、ジョイス・キャロル・オーツのこんなことばを謹んでお贈りしたいと思います。

“I never change, I simply become more myself.”

この精神でさらに15年はがんばれそうな気がします。

あとね、やなせたかしさんの名言じゃないけど満員電車も乗り続ければ他の人が下りていって座れるようになるのと同じで、15年も同じことをやってると、それなりに自分の居場所ができてくるんですよね。うちのサイトにわざわざ「同性愛者は差別されて当然」とか「普通はこう考えるのですからあなたもそうするべき」とか言いに来た人たちは、今どこにいるやら見当もつきません。今にして思えば前者は「(お前がサイトで何か言っても)世界は変わらない」とご注進に来たのであろうし、後者は「お前変われ」と命じに来たのでしょう。でも、彼らは電車を降りていって、あたしは今もサイトで好きなようにやっています。世界は変えられないかもしれないけど、あたしも変えられてなんかやらない。ずーっと自分自身で居続ける、もしくは、より自分自身になっていく。それでいいのだと、今改めて思っています。