ゲストの歌はよかったのに、セス・マクファーレンが最低最悪だった - 2013年アカデミー賞感想

ライブ中継を見た時点でとりあえず「LAのゲイ男声合唱団、2013年アカデミー賞のオープニング・ナンバーで歌う - みやきち日記」だけさっくり書いたんですが、その後字幕放送を録画してじっくり見てたら他にも言いたいことがいっぱい出てきました。忘れないうちにまとめておきます。

ゲストの歌はとてもよかった

「映画と音楽」というテーマ通り、音楽は概してとてもよかったです。バーブラもクリスティン・チェノウィスもシャーリー・バッシーもアデルもキャサリン・ゼタ=ジョーンズジェニファー・ハドソンノラ・ジョーンズもアデルも、そしてレ・ミゼのキャストたち(特にサマンサ・バークス!)もすばらしかった。これらの歌の部分だけ、何度も何度も繰り返して見ちゃうほどでした。

司会のセス・マクファーレンが最低だった

史上最悪の司会だったわ。のっけからセクシストでレイシストでホモフォビックなジョーク(のつもりの暴言)を連発して会場をドン引きさせ、にもかかわらず同じ路線のギャグ(のつもりの暴言)を続けて最後まで空回りし続けるという、悪い意味での伝説になりましたね、この人。

脚本を書いた人が悪いのか、セス・マクファーレンが悪いのかはわかりませんが、白人異性愛者男性の特権について徹頭徹尾鈍感すぎでしょ。この立場からアフリカ系とかヒスパニックとかゲイとか女性とか子どもとか、とにかく自分より弱い立場の人を下げまくるジョークを連発して喜んでもらえると思う方が頭おかしいわ。

最大限に好意的に考えるに、冒頭でわざと悪趣味なジョークを羅列してから、「あんなにひどかったのに、カーク船長のおかげでこんなに改善されました! ばばーん!」と盛り上げるつもりだったんでしょうね。だから、オフェンシブなことを言ってるって自覚は一応(すくなくともオープニングの時点では)あったんじゃないかなと思います。でも、この構成を考えた人は、逆ハロー効果ってものを知った方がいいわ。最初はお義理で笑ってあげようとしていた客席のみなさんがどんどん冷めていって、しまいに司会者が何を言っても滑りまくりになってたのは、そのせいだよ。

個人的に特にひどいと思ったのは、このあたりです。

  1. 奴隷ジョークとNワード・ジョーク。どこのKKKの集会かと。
  2. 『ジャンゴ』を「想像もつかないほど暴力的な映画」と評しておいて、「リアーナとクリス・ブラウンにとってはデート映画」と2009年のDV事件を持ち出したところ。DVを楽しいジョークのネタとして消化できるのは、殴る側の人だけだと思うんですが。
  3. 「おっぱい見ちゃった」という下品ソングに出てきた映画のうち4作品は、おっぱいが出てくる場面=レイプシーン。つまり、『ボーイズ・ドント・クライ』、『告発の行方』、『モンスター』、『ローレス』。これらのレイプ場面について、「おっぱい見ちゃった、コーフンしちゃった♪」とニヤニヤ歌われましても。あなたにとって女優の仕事とは「おっぱいを見せること」だけなんですか。
    • 歌詞でとりあげられた女優たちがあまりにもドン引きしていた(笑ってあげていたのは、『おっぱいが見られなかった』と歌われていたジェニファー・ローレンスだけ)ため、途中から女優のアップが一切出なくなるという異様な展開でしたね、ここ。全部演出だとしても、笑える演出じゃないよあれは。
  4. セスのバックコーラスをつとめたLAのゲイ合唱団の目の前で「自分はゲイじゃない」と熱弁をふるい、カーク船長から将来ゲイになると言われてあきらかに狼狽してみせるところ。わざわざこんな場面で「ゲイだと思われたりゲイになったりすることは悪いことだ」というメッセージを発することがギャグになると思ってるその神経がもうね。
  5. ジョディ・フォスターのプライバシーを守りたがる姿勢を揶揄したこと。貴様ごときにクロゼットにいることの何がわかる。
  6. 9歳の主演女優賞候補クワベンジャネ・ウォレスを「名前が覚えられない」と言い切り、さらに彼女の年齢について「あと16年は(年下好みの)ジョーニ・クルーニーの好みの対象」と形容したところ。9歳の子に「おまえは名前を覚える必要もないほどとるに足らない存在で、50過ぎのおっさんの性欲の対象だ」と告げることをおもしろがれる人って、あの会場に何人いたんでしょうか。
  7. ラテン系の役者のアクセントをバカにし、「バビエル・バルデムやペネロペ・クルスサルマ・ハエックが舞台にいても何を言ってるんだかわからない」と言い放ったところ。
  8. 『テッド』の熊との会話で「秘密のシナゴーグでの会議」云々と言いだし、ハリウッドにおけるユダヤの陰謀なるものについてキャッキャと話すところ。46年ぶりにバーブラが歌うオスカーのステージで言うことがそれですか。

上記全部について「何の問題もない、おもしろいジョークじゃないか」と感じた人も当然いることでしょう。たぶん、お偉いマジョリティ様の中には、大量に。でも、あたしは嫌でした。特にクワベンジャネちゃんの名前を軽んじたところと、ラテン系のアクセントをけなしたところで、「外国語や外国文化をここまで軽視してたんじゃ、『アダムス・ファミリー2』のあの白人キャンプ場オーナーじゃないか」としか思えなくなってしまい、一刻も早くクリスティーナ・リッチが登場してこの男のケツを燃やしてくれないかとまで思っちゃいました。

(参考動画:見どころは1:35あたりからの復讐シーン)

もちろん、セスがこういうジョークを言うのは自由だし、それを聞いた人が何の問題も感じずにゲラゲラ笑うのも自由です。日本のメディアだと、やはりと言うべきか、「持ち味の毒舌を活かしたトーク、時事ネタを取り入れたジョークを連発し会場を盛り上げた」なんて好意的に評しているところがありましたが、だからってその評価を取り下げろとはまったく思いません。
でも、ドルビー・シアターの客席の例年にないドン引き具合や、英語圏での各メディアからの批判などを見るに、やっぱりこの人選は失敗だったと思うんです。受賞式オープニングでカーク船長が、「ティナとエイミー(第70回ゴールデングローブ賞司会の、ティナ・フェイエイミー・ポーラー)に司会をやらせるべきだった」と呟くというギャグが、ギャグではなく完全な真理になっちゃってましたしね。本当に、見ながらいったい何度「ティナとエイミー、お願いだから帰ってきて!」と思ったことか。

実はティナやエイミーだって、けっこうきついジョークは言っていたはず。ジョディ・フォスターにからめたレズビアン・ジョークもしっかり言ってましたよ。でも会場は爆笑していたし、視聴者からもこんなに批判を浴びず、むしろ大好評でした。このへんが、司会としての力量の差ってものじゃないでしょうか。

そう言えば、今回の授賞式のしめくくりに歌われた「Here's to the Losers」(敗者に捧げる歌)の中で、クリスティン・チェノウェスが高らかに「セスにも乾杯 二度と司会はない」と歌い上げるところがあるんですよね。CNNによると、この歌の歌詞は授賞式の間にクリスティンとセスによって書かれたものなんだそうですが、だとするとこの部分はやっぱりクリスティンがセスの司会っぷりを見てつけ加えたものなのかしら。それともアドリブかしら。いずれにしても、一生ついていくわクリスティン姐さん。

あと余談ですが、この「Here's to the Losers」でクリスティンがまだ小さなクワベンジャネ・ウォレスに「トムクルーズ並みよ 才能も背丈もね」と歌いかけるところがあるんですね。「これは問題じゃないのか、セスばっかり責めるな、白人異性愛者男性に対する差別だー!」と思った人もいるかもしれません。でも、それはちょっと違うんだな。なぜなら、クリスティン自身がアメリカ人にしては非常に小柄で、約150cmしかないから。しかももう成長の余地がない大人だから。白人が黒人を、男性が女性を、異性愛者が同性愛者を軽んじるだけの「自称ジョーク」とは、そこが決定的にちがうんです。そうだ、もういっそ来年の司会はクリスティンでもいいんじゃないかしら。歌って踊れてギャグのセンスもいいし、レッド・カーペットでのトークもうまかったしね。

シェリー・ライトは卓見の持ち主

今にして思うと、2月24日の時点でシェリー・ライトがウォールストリート・ジャーナルのこのツイートをリツイートしていたのは卓見と言うよりほかありません。


アカデミーの投票者の年齢の中央値は62歳である。うち94%が白人で、77%が男性である。
The median age of an Academy voter is 62. They are 94% Caucasian and 77% male.
http://on.wsj.com/WkLaju #Oscars
しょせんはこういう賞だから、ああいう司会者でも誰も止めなかったのかもね。