「初音ミクがわからなくても別にいい」のが21世紀じゃないのか

上記を読んでみて、「初音ミクがわからない人をどうするか」とか、「彼らを初音ミクに熱狂させよう」とかいう言い回しそのものが大いに前時代的であるようにあたしには感じられました。
自分(たち)には自分(たち)と異なる人々をどうにかする権利または能力があると考えたり、自分(たち)の価値観を共有させようとしたりするのって、要するに大昔からある異民族同化政策の世界ですわな。「20世紀に置きざり」にされているのはいったいどちらなんでしょう。21世紀というのは「わたしとあなたは違っている、だからってそれが何?」と異なる者同士が共存できる社会を目指す時代かとあたしは思ってたんですが、ひょっとして違ったの?